礼拝説教原稿
2022年1月
「神の御心のみが実現する」2022/1/30
マルコによる福音書1:40-45
毎週、教会の正面掲示板には翌週の説教題が張り出されます。結構多くの人がこの桑名教会の前を行き交うのですけど、その人たちの目にとまる言葉なので、なにか強い印象を与えられないか、と毎月とても悩みます。その週に与えられた聖書の箇所を読み、釈義をし、どんな主題にするかアウトラインを考えます。その礼拝の中で歌う讃美歌も加味しつつ頭を悩ませ、語句を絞りだすのです。とはいえ私はコピーライターとしてのタラントが与えられていないので、正直、平凡な言葉に収まります。限られた字数で主題がイメージしやすい言葉であれば良しとなるのです。説教題を見て「礼拝に参加しようか」とならなくても、礼拝が終わった後、帰るときに掲示板を振り返り「そんな説教だったなぁ」と思い浮かべば良しと思い切るのです。
でも、ときどき悪霊がニヤニヤしながら話し掛けてきます。例えば、掲示板にこんな意味合いの言葉を張り出すのです。信仰を持てば「願いが叶う」「病気が治る」「学校に合格できる」「立派な人間になれる」「商売が成功する」「社会活動に貢献できる」あと「仲間ができる」「あなたの品格が上がる」。世間の多くの人が【世俗の神・偶像】に願っている言葉を掲げれば、もう少し教会が興味を持たれるよね、と。
では、それが正しいことなのかというと、もちろん、そうではありません。お賽銭を投げてパンパンと手を叩いて頼み事をすれば願いを叶えてくれる、のは神ではなく悪霊です。そうやって悪霊は人の心を神の御心から引き離すのです。
そして主イエスは、この悪霊と戦われた、のです。私たち人間をこのような勘違いから解放する為に、主イエスは十字架に掛かられました。肉を裂かれ血を流されたのです。そもそも主イエスは人間の望みを適えるために、この世に来られたわけではありません。もっと根本的な問題、つまり神と人間の破綻した関係を繕い直すために来られたのです。神に背を向けている人間を立ち止まらせて、振り替えさせる、関係を回復させるためです。そして神に立ち返るなら、その人はこの世の束縛から解放され、自由にされ、お手頃な幸いではなく、価値ある幸いが与えられるのです。
今朝与えられました御言葉に、一人の重い皮膚病を患った男性が描かれます。彼は主イエスに感謝し、救い主として人々の前で主イエスを誉め称えます。しかし、その行いが主イエスの働きにとって足枷になるのです。どういうことなのでしょうか。
さて、主イエスはガリラヤ湖畔の町カファルナウムでの宣教を終えた後、弟子たちに「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」(マルコ福音書1:38)と話します。そしてカファルナウムを拠点にして周辺の町をめぐり、会堂で人々に教え始めるのです。それぞれの町では多くの人々が主イエスの言葉に触れ、今までにない、新しい教えを聞くのです。
そして夕方になって日が沈むと、その町の人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を主イエスのもとに連れて来ました。なぜ夜かというと、この当時、人々は病気の原因を悪霊の業だと信じられていたからです。ですから、家族の内に病人がいる家の者たちは、病人を家の中に隠し、人目のある昼間に病人を外に出すことを避けていました。自分たちも悪霊に取り憑かれていると思われないためです。でも病人といえども愛する家族です。主イエスに癒やしていただきたいと願い、夜中、人の気配のない時間に訪れるのです。主イエスはそんな人々を癒やされます。そして癒やされた人々は主イエスに感謝し、ひっそり静かに自分の家に帰るのです。
しかし、病人、悪霊に取り憑かれて者よりも、さらに虐げられていた者たちがいました。それは重い皮膚病を患っている人々です。彼らは町の外れに住まわされ、人とも接触を禁止されていませんでした。この重い皮膚病とは感染症です。当時は有効な治療法がありませんでした。ですから発症した者を隔離するしか感染を予防する手段はなかったのです。加えて、彼らは差別と偏見の対象になっていました。彼らは神から捨てられたから病を得た、と人々は信じていましたし、重い皮膚病にかかった人たちも、自分は神から捨てられたと信じていたのです。(過去に於いても現代でも、感染症は差別と偏見を生みます。私たちは今、この現実を身に染みて感じています。)
ユダヤ教の律法が記されているレビ記十三章には、どのような症状なら重い皮膚病か、そうでないか、判別するための指標が事細かく定められています。
これだけ細かく書かれているという理由は、類似する皮膚病と誤診してしまうことを避けるためです。如何に重い皮膚病が恐れられていたか、ということが分かります。
皮膚病に掛かった人は、それが重い皮膚病か、そうでないかを祭司に見せて判断してもらいます。七日間隔離されて、もう一度確認し、症状が改善されていれば「あなたは清い」(レビ記13:6)と言い渡されます。疑いを晴らされた人は衣服を水洗いして、普通の生活に戻れます。しかし症状が悪化しているなら、その人は「あなたは汚れている」(レビ記13:8)と言い渡されます。汚れていると言い渡された人は、どうなるのか、レビ記にはこう記されています。「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない。」(レビ記13:45-46)
彼らは町を出て、一人で生活しなければなりません。それでもユダヤの律法には、貧しい人、困窮した者に施しをすることは、神への贖罪になる行いであり、神の前に喜ばれる行いとされていました。ですから、こころざしのある方たちは、食料や必要な物品を隔離された人々に施していました。でも彼らと出会わないように、用意した食べ物を町の外の置くのです。重い皮膚病を患った者は荒布を頭からすっぽりかぶって、町の近くに受け取りに行きます。でももしタイミング悪く町の人と出会ったなら、彼らは離れなければなりません。「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と大声で叫ばないとならないのです。
さて、今朝与えられた聖書に描かれている、重い皮膚病に掛かった男の話に戻ります。彼は町に住むことは許されず、町の外で、一人で生活していたと考えられます。それでも彼は、人目につかないように町に近づき、遠くから町の人々が生活する様子をいつも眺めていたのだと思います。そしていつかこの病気が治って町に帰り、自分の家族や友人たちとそれまでと同じ生活ができることを強く望み、そこに一縷の希望を託して生きているのです。そんな折、彼は主イエスの噂を耳にします。彼は人から隠れて聞き耳を立てて、人々の声を聴き、病気を癒やされる主イエスのことを知るのです。
この方なら神からの赦しを与えて下さる。彼は確信します。そして彼は主イエスに会って癒やしていただこうと考えるのです。しかし主イエスが町にいるときは、それがたとえ夜中であったとしても、彼は町の中に入ることはできません。ですから主イエスがカファルナウムを出て、他の町に行く、その途中で主イエスに近づき、癒やしていただこうと作戦を練るのです。
そして町から離れた、他に人影がない道を主イエスと弟子たちが進んでいる時、彼は主イエスの前に走り寄り、跪いて願います。「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」(マタイ福音書1:40)主イエスは彼を見て深く憐れまれた、と記されています。この憐れむ(splagchnizomai)は、同情する、程度の意味ではありません。新約聖書では特別な言葉です。神御自身が、自分の内蔵が千切れるほどに人の悲惨を痛む、それがこの「憐れむ」です。主イエスは彼を憐れみます。そして手を差し伸べて彼に触れるのです。
主イエスは、重い皮膚病を患った人が目の前に近づいてきたことを受け入れただけでなく、直接、自らの手を差し伸べて彼に触れます。そして「よろしい。清くなれ」(マタイ福音書1:41)と声を掛けられるのです。すると、彼は清くなるのです。
そのあと主イエスは【厳しく】彼に注意します。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」(マタイ福音書1:41)皮膚を祭司に見せて、治癒したことを証明して貰いなさい。「あなたは清い」と言い渡されなさい。そうすれば、町に帰ることができる。家族のもとに帰ることができる。そう話すのです。
彼は喜び勇んで町に帰ります。そして祭司に体を見せて、人々が集う会堂に入って礼拝を捧げ、捧げ物をします。彼の望んでいたことが実現します。しかしこの後、彼は約束を破ります。彼は自分の罹っていた重い皮膚病が、主イエスによって癒やされた事を「大いに」町の人々に告げ知らせるのです。彼に悪気はないのです。彼はそれほどまでに嬉しいのです。躍り上がって主イエスに感謝し、自分を見棄ててはいなかった神に感謝するのです。これまで強く押さえつけられた思いが溢れかえってしまうのです。
彼のこのような行いによって、主イエスの伝道は妨げられます。それまで病人たちは夜中にひそかに癒やして貰うために集まってきていたのですが、おおっぴらに公然と集まってくるようになったからです。人々の関心は、主イエスから神の国について聴くことではなくなります。幸いについて、真理についての説き証しを聴くことではなく、癒やしを受けること、奇蹟を見ることに変質してしまうのです。
では、主イエスにとって、彼の行動は予想外だったのでしょうか。「あれ程キツく忠告したのに、約束を破った」と腹を立てたのでしょうか。そうではないと、私は考えます。主イエスは人の心を知っているのです。たとえ不利益を被ると知っていながらも、それでも主イエスは彼を憐れみ、癒されたのです。主イエスは彼の罪も背負われるのです。そして主イエスはこの世に生きるすべての人間の罪を拭う為に、自ら十字架に架かり犠牲となりました。人の罪、愚かさ、虚しさを知りながらも、そのまま全ての罪を自分の十字架として背負われ、ゴルゴダの坂を上られたのです。人々はその主イエスの十字架を見上げて、自らの罪の重さを知るのです。神を、願いを叶えてくれるだけの道具のように扱い、叶えてくれなければ捨ててしまう。そんな自分の罪を知るのです。
主イエスはなぜこの世に来られたのでしょうか。それは神と私たちとの破綻した関係を繕い直すためです。私たちの私欲に満ちた願いを叶えるためではありません。でも主イエスはそんな幼く、未熟な私たちを御自分の近くに招き寄せて下さいます。私たちは時間をかけて主イエスと関わり、その言葉を心に刻みつつ、日々を生きるのです。そうやって私たちは成長が与えられます。少しずつ心を神へ向けられるようになるのです。
私たちも彼と同じように、この世に神の名である主イエスを誉め称え、告白します。でもその主イエスは、私を癒やされた主イエスではなく、私を神と和解させて下さった主イエスです。多くの方が自分たちと同じように、お手頃な幸いではなく、価値ある幸いが与えられるように、私たちはこの世で告白し続けるのです。
「いつも新しく」2022/1/23
マルコによる福音書1:21-28
例えばキャンプとか遠足とか、子どもたちを引率して遠出をするとき、教師は先に現地を下見するのです。できれば、当日と同じ場所、同じ時間、同じ交通手段を使って、行く道をなぞることから下見は始まります。子どもたちと歩く道の交通量、歩道の段差、どこにトイレがあるか、所要時間を調べます。現地に着いてからは、子どもが動くだろう場所をすべて、自分の足を運んで見て、確認します。置いてある遊具は安全か、ぬかるみとか、登れる木の枝の強度とか、小川の深さ、石にコケが生えているか、おおよそ子どもというものは、大人が考えつかないような動きをします。それに大人が行くのを避けるような場所に興味を示して、入って行く傾向があります。ですから、先回りして、怪しそうな場所は見ておく必要があります。それと、急に雨が降ってきた場合に待避する場所も調べておきます。どんな所でどんな怪我をしそうか、そのための医療品も用意します。
そうやって事前に下見をしておくなら、たとえ子どもが予想外の行動をしたとしても、引率者は平然と対処できます。それは現場を知っているから可能なのです。でももし、現場を知らない、自分も初めて行く場所に子どもを連れて行くとするならどうなるのか、引率者はいつも子どもの動きを押さえつける言葉を投げかけ続けることになります。「そっちに行っちゃだめ」「もっと静かに歩きなさい」「走らないで」緊張してイライラし続けることになります。そして何か事件が起こるとパニックになります。子どもたちにも緊張は伝染します。彼らは行動を押さえつけられて、まるで、言われたことを守り続けなければならないロボットのように行動することになります。せっかく外出したのに、自分の知らない世界をのびのびと冒険できる機会なのに、聞き分けの良い、お行儀の良い子で居続けなければならなくなるのです。
何で、こんなことを話したのか、と言えば、今朝の御言葉の中に、主イエスは「律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになった」(マルコ福音書1:22)と書かれている言葉を説明するためです。なぜ主イエスは権威ある者として、お教えになることができたのでしょうか。それは主イエスが先に下見をしている引率者だったからです。主イエスは天の国を知っていました。主イエスは神の御心を知っていたのです。ですからその言葉に澱みがなく、その言葉は束縛を促すのではなく自由を促したのです。
さて、今朝の御言葉を読み進めてまいります。最初に「一行はカファルナウムに着いた。」(マルコ福音書1:21)とあります。「一行」つまり主イエスは弟子たちと共にカファルナウムの町に入られました。この弟子とは、シモンとシモンの兄弟アンデレ、そしてゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネです。このカファルナウムはシモンとアンデレの住む家がある町でした。地中海に続く海の道と呼ばれる広い街道沿いの町でローマの徴税所があり、関所を守るための駐留兵が置かれていたと考えられています。
この町の中心にはユダヤ教の会堂(シナゴーグ)がありました。毎週の安息日には礼拝が行われ、町中や近隣に住むユダヤ人が集まります。シモンもアンデレは、いつもこの会堂で礼拝を守っていたと考えるのが自然でしょう。そして彼らの家族や彼らを良く知る人たちも集まっていたのです。その会堂に、彼らは礼拝を献げる為に主イエスと共に入ります。そして主イエスは講壇に立ち、集まっている人々の前で教え始めるのです
ここで少し補足するなら、講壇に立てたのは、それが主イエスだったから、という理由ではありません。ユダヤ人の住む町を巡回する教師とか律法学者が招かれて講壇に上がって教えを説いたり、講演をすることは一般的だったと言われています。マスメディアがない時代に、聖書や他の知識学び、また他地域の情報を知ることができる唯一の機会だったからです。
さて、では主イエスの話しを聞いた人々は、その言葉をどのように受け止めたでしょうか。「人々はその教えに非常に驚いた。」(マルコ福音書1:22)と聖書には記されています。この「驚く」は(ekplesso)は普通に驚く、ではなく「圧倒される」とか「心を打たれる」という「驚く」です。腰を抜かす、とか、そんな表現でも良いと思います。人々は今まで聞いてことのない言葉に驚愕するのです。特に人々が驚いたのは、主イエスが「律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったから」(マルコ福音書1:22)です。
それまで安息日に会堂で話しをしていた律法学者たちは聖書を隅々まで暗記していて、また過去から蓄積された律法学者たちの解釈も研究し、その知識を人々に教えていました。しかし彼らの言葉には限界があるのです。どんなに聖書を研究し勉学に勤しんだとしても、それは知識に過ぎないのです。彼らは実際に天の国を知っている訳ではありません。神の御心も、想像するとか「悟る」ことは、ある程度できるかも知れませんが、「見る」ことはできないのです。しかし、主イエスは御自身が神の言葉なのです。聖書の内容を知っているとか、覚えているとか、研究しているとか、解釈できるとか、そのレベルではありません。主イエスが聖書そのものであり、預言者が話し聖書に記されているメシアその方だからです。
しかし、人々は、なぜ主イエスの言葉がそれほどまでに、圧倒的に権威者の言葉、つまり天の国のことを知り、神の御心を知り、救いを知っている者の話す言葉であるのか、理解できないのです。なぜなら、目の前に立って話している主イエスは、自分たちと同じ、どこにでもいる普通のユダヤ人男性だからです。それに主イエスはエルサレムから来たのではなく、ガリラヤの片田舎のナザレ出身だと聞きます。しかも律法学者や祭司を弟子として引き連れてきたのではなく、主イエスの弟子は自分たちの良く知っている漁師のシモンとアンデレです。人々は、なぜ主イエスがこれほど迄に驚くべき話しができるのか理解できないのです。
でも、この会堂の中に、主イエスの正体を知ることができる者がいました。それは悪霊です。悪霊というと人々の間にいて、何か悪さをするような存在のように思われますが、そうではありません。悪霊の仕事は人を神から引き離すことです。しかし結果的に神から引き離された人は魂が枯渇し、この世の物や人、言葉で、魂の空白を埋めようとします。そして手に入れることのできた、この世の物や人、言葉に支配されます。その結果執着に心を奪われ、自分自身も他人も命ではなく物として扱うようになります。悲惨へと引きずり込まれるのです。
エデンの園でイブを誘惑した蛇のように悪霊は人を誘惑します。「蛇は女に言った。 「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」(創世記3:4-5)
悪霊の働きは、人を神から引き離すことです。彼らは耳元で話し掛けます。「あなたは優れているから神の力など借りる必要はない」「神がいる、なんて妄言に過ぎない」「あなたは騙されているだけだ」そう誘惑するのです。そして人は悪霊の存在を見抜くことができません。彼らは賢く、人に見破られることはないからです。
例えばイブを誘惑した悪霊は蛇の姿をしていたと聖書には記されています。蛇というとなんとなく悪者というイメージですが、しかし神話に於いて蛇は知恵と賢さの象徴です。現代にあって例えばWHO(世界保健機構)のシンボルマークには蛇がデザインされています。蛇は砂漠でも生きることができ、その毒は薬になることからです。悪霊は全てを知って者のように、いかにも信頼できる姿で、ゆっくり地面を這うように近づいてくるのです。
そして悪霊は、会堂に集まる人々に交ざって神を礼拝する振りをして、人を神から引き離す仕事をしていたのです。
人は主イエスの本当の姿を見抜くことはできません。しかし悪霊だけは主イエスが神の子であり、神御自身であると、気づくことができるのです。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」(マルコ福音書1:24)人々は、悪霊に取り憑かれた人の言葉を聞いて、驚きます。たぶん、その人はいつも一緒に礼拝している自分たちの仲間だったからです。そして悪霊は「ナザレのイエス」と主イエスの名前を呼びます、名前を呼ぶということは相手の正体を暴く、という意味があります。つまり悪霊は主イエスの正体を人々の前に曝露する、つまり明らかにすることによって、主イエスの活動を阻止しようとするのです。なぜなら悪霊がこの世から姿を隠して存在しているように、神に属する者、神の子もこの世のから姿を隠して存在するものだからです。しかし主イエスは動じません。主イエスは「神の子」(マルコ福音書3:11)であると同時に「人の子」(マルコ福音書2:10)だからです。つまり、ここで悪霊に正体を曝露されても、負ける事はないのです。でも悪霊は正体を明らかにされて、負けます。主イエスは悪霊を「黙れ。この人から出て行け」(マルコ福音書1:25)と叱ると、汚れた霊はその人に痙攣を起こさせ、大声をあげて出ていきます。汚れた霊に取り憑かれた人は正気に戻るのです。
会堂にいた人たち、つまりカファルナウムの町の人々は、その様子を見て驚きます。そして主イエスを畏れます。少し細かい事ですが、27節の「人々は皆驚いて、論じ合った。」の驚く(thambeo)は神を知った畏れ、という意味の「驚く」です。
人々は「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」(マルコ福音書1:27)と論じ合います。彼らは主イエスの言葉を「新しい教え」と話します。でもなぜ人々は主イエスの言葉を新しい教えと感じたのでしょう。
人々がそれまで聞いていた祭司の言葉、律法学者の言葉は、律法という戒律を守るように促すだけの言葉、行動を束縛し、守らなければ叱りつける言葉でした。しかし主イエスの言葉はそうではありません。人々を祝福し捕らえられた魂を解放し、自由にする言葉です。なぜ、主イエスはそんな言葉を伝えることができたのか、という、主イエスは天の国を知っていたからです。
下見をしていないと、子どもたちを叱る言葉を投げかけることになる、と最初に話しました。律法学者たちは天国を下見できないので、必然的に、人々を束縛し叱りつける言葉を掛けることしかできなかったのです。彼らも必死にユダヤの人たちを自分の羊として守ろうと、そして神から離れないようにと、それこそ命懸けで頑張っていたのです。嫌われても疎まれても、自分の役割として人々を叱責し続けてきたのです。しかし、ここまでが人の限界です。彼等自身が知らぬ間に悪霊の手先として働かされていたのです。
私たちは悪霊の囁きに惑わされることなく、歩みましょう。悪霊は私たちを神から引き離そうとします。私たちが自分の頭と心を動かそうとすると、それを妨害し私たちを縛ろうとします。「〜〜しなければならない」という文脈で話し掛けてきたり、「これが正しい」「こうしなさい」と命令します。でも、それらも悪霊の言葉です。惑わされないようにしましょう。主イエスは私たちを見守っています。私たちにも新しい教えを語り掛けて下さいます。主イエスは私たちが動き回る先の全てをご存じです。私たちが陰に隠れて悪さをしても、帰る場所を見失っても、見守ってくれています。主イエスに見守られていると知っているから、私たちは自由に安心して公園の中で遊べるのです。私たちは天の国を知り、神の御心を知っている主イエスに引率されていることに感謝して、日々を歩みましょう。
「主イエスにしたがう」2022/1/16
マルコによる福音書1:14-20
昨年のアドベントに入った時のことです。クリスマス礼拝のチラシを配るために近所を歩いて廻りました。チラシだけでなく封筒にカラーでメッセージを印刷して、教会案内も入れて、近くだけだから五十セットもあれば良いかと用意したのです。でもいざ配ってみると、すぐに手持ちが少なくなりました。そこで私はどうしたのか、というと、手元に残っている数枚のチラシをできるだけ効果的に使おうと考えるのです。玄関に表札が出ていてクリスマスリースが飾られている家のポストにはチラシを入れて、しめ縄とか御札が貼られている家は前を素通りしました。庭にイルミネーションが飾られている家のポストにもチラシをいれました。少し歩きましたけど、それでもすぐに手持ちのチラシはなくなりました。
しかし、今朝与えられました御言葉を読んで、私のこのような考え方は間違っていたと気づかされました。なにが間違いだったのか。私はチラシを配りながら「このご家庭はクリスマスに教会に来そうだな、このご家庭はたぶん興味がないだろうな」と決めつけていたのです。私の中に「これがキリスト教信仰」というイメージがあり、その規準に沿って私は「この家はキリスト教信仰に近そう」とか「遠そう」と、身勝手に選り分けていたのです。
今朝与えられました御言葉の中で、主イエスはガリラヤ湖で漁をしていたペトロに声を掛け、弟子として迎え入れました。ではもし(とてもおこがましいのですけど)私が主イエスの立場で、自分の弟子を迎えるとするなら。つまりペトロにクリスマスのチラシを渡したか、というと、渡してはいなかったと思えるのです。例えば私が早朝に赤須賀(あかすか)に行って、あさり漁をしている漁師にクリスマスのチラシを渡しただろうか、と考えるに、渡すという発想に至るとは思えないのです。
でも、この気づきから、主イエスの伝道が、誰に何を伝える為に行われたのかが解ります。そして私たちのこの桑名教会が、どこに、誰に向かってどんな伝道をするのか、も見えてきます。共にこの御言葉を読み進めてまいりましょう。
さて、御言葉の最初に「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き」(マルコ福音書1:14)とあります。時と場所を説明するための言葉に思えますが、ここから大事な事が分かります。まず、このヨハネとは主イエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネのことです。そして主イエスは、洗礼者ヨハネが人々に話したメッセージを一言一句、同じ言葉で人々に伝えるのです。それは「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ福音書1:15)という言葉です。でも洗礼者ヨハネがヨルダン川流域から死海のほとりで伝道活動を進めたのに対して、主イエスはガリラヤから伝道活動を始めた、と聖書は記します。それはなぜでしょうか。
まず、なぜこの時、洗礼者ヨハネは捕らえられて牢に入れられたのか、というと、それは洗礼者ヨハネがガリラヤの領主ヘロデ・アグリッパの行いを批判したからです。ヘロデは兄の妻であったヘロディアを自分の妻として迎え入れます。この行いを洗礼者ヨハネは、律法に違反している神の御心に反する、と指摘したのです。それまでヘロデは洗礼者ヨハネを神からの預言者として尊重し、その言葉を有難く受け止めていました。尊敬し畏れていたのです。しかし自分の好意をもった女性、ヘロデアに対するヨハネの批判に関しては、そのまま受け入れることができませんでした。好きな女性の前では対面を保ちたい、という非常に男性的で人間的な感情は理解できます。でも、ヘロデは過ちを犯しヨハネを捕らえ牢に入れるのです。そして後にヘロデアの娘サロメの願いを聴いて洗礼者ヨハネの首を跳ねて処刑することになります。
ヘロデはガリラヤ湖の西岸にギリシャの町を模してティベリアの町を建設し、宮殿を建てて住んでいました。そのヘロデの影響力が一番強い、彼の領地であるガリラヤから主イエスは洗礼者ヨハネと同じメッセージを用いて伝道を始められるのです。
何もそんな場所から、わざわざ伝道を始めることなどないだろうと、私たちは考えます。主イエスが洗礼者ヨハネの弟子だと目されるなら、捕らえられて殺されるだろうことは、誰の目にも明白だからです。けれど、主イエスがナザレから伝道を始めることは、人の思いによってではなく、遡ること七百年前、預言者イザヤの言葉によって約束されていたことでした。イザヤ書にはこう書かれています。「今、苦悩の中にある人々には逃れるすべがない。先にゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが、後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。」(イザヤ書8:23)
私たち、人間の目には不利だと思えたり、損失だと見えたり、無駄、危険、無意味と思える場所から、主イエスは伝道を始められるのです。そして、私たちの目から見て、主イエスの弟子として立つには最も遠いところにいると考えられる者が、主イエスの弟子として迎えられます。それがペトロです。
ガリラヤで主イエスは伝道を始められます。洗礼者ヨハネが理不尽な理由で捕らえられ、牢に入れられたばかりだったので、洗礼者ヨハネの言葉に癒やされ、希望を与えられていた人々は、今度は主イエスをヨハネの後継者として受け入れ、その言葉を聴くために集まって来たと考えられます。そして主イエスは自分の言葉を聴くために集まって来た人々に向けて「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ福音書1:15)と話すのです。
では主イエスは、これから伝道活動を始めるにあたって、集まって来た人々の中から、自分の弟子を選ばれたのかというと、そうではありません。(重ねておこがましいのですけど)もし私が主イエスであるなら、自分の言葉を聞きたいと望み、考え方にも共感している、きちんと言葉を理解し、その言葉を伝えることができる者を弟子として迎えるのではないかと、考えます。神について深く理解している祭司とか、聖書の知識を多く持っている学者とか、人間の心と体、あと「死」という現実にいつも向き合っている医師とか、人々の影響力を持っていて、マネジメント能力に長けている商人とか、将来有望な賢そうな青年とか。つまり弟子になりたいと希望して集まって来る者から弟子を選ぶと考えます。しかし主イエスはそうではないのです。
主イエスは早朝、つまりまだ人々が自分の言葉を聴きに人々が集まってくる前に、ガリラヤ湖のほとりを歩きます。そして、湖で舟の上から網を打っているシモンとシモンの兄弟アンデレに目を留められます。揺れる舟から重い網を投げる彼らの足腰はしっかりしていて、腕は太く鍛えられています。腰に布を巻き、肌は日に焼けて黒かったでしょう。彼らは主イエスのことを知っていたかどうか、それは聖書に書かれていないので、わかりません。でも主イエスがユダヤ教の会堂で人々に教えていたこと、そして、シモンとアンデレも安息日には会堂で礼拝を守っていたこと(ユダヤ人の男性であるなら礼拝の参加は絶対です。)を鑑みるに、主イエスの言葉や噂を聞いていたと考える方が自然でしょう。彼らがその言葉に興味を持ったか否かはわかりません。
でも彼らにとっての日常は魚を捕ることです。朝、まだ太陽が昇る前に湖に舟を出して投網を打ち魚を捕る、港に帰り、売れる魚と雑魚をより分け、売れる魚は市場に持っていって売り、また舟に戻って明日の漁のために網に空いた穴を繕います。舟の修理も桟橋の修理も漁師仲間が集まってやります。仕事は幾らでもあります。そして家に帰り、日が沈む頃には寝床に入るのです。そしてガリラヤ湖の漁師の生活は安定していたと考えられています。
ガリラヤ湖の魚は塩漬けにされてローマまでも輸出されていたと言われています。また、このガリラヤ湖の西岸地域には当時「海の道」と呼ばれ街道が通っていて、交通の要衝でした。多くの人が行き交い、塩漬けの魚は保存食としてよく売れたでしょう。
シモンとシモンの兄弟アンデレは経済的にも裕福で生活も安定していたと考えられます。それにユダヤ人として、幼い頃から教育を受けていました。でもその日常は肉体労働です、巧みな話し方や神学的な知識は必要なく、人の魂に寄り添う機会も稀だったでしょう。その彼らに主イエスは声を掛けます。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マルコ福音書1:17)
この「私についてきなさい」ですが、ここで使われている(deute)という言葉は「さあ、来なさい」という勢いのある表現です。そして「あなたを、人間を捕る漁師にしよう」と主イエスは話されるのです。彼らの日常は魚を捕ることでした。彼らはその日常に十分満足していたでしょうし、当然、日常の些細ないざこざや悲しみや、もちろん喜びも有ったでしょうけれど、すべからく日常は続いていたのです。そんな彼らに主イエスは、いま続けている日常を入れ替えて、魚ではなく人を捕る漁師になりなさい、私の弟子になりなさいと招くのです。魚を集めて市場に運ぶのではなく、人を集めて神の下に導きなさいと、そう招くのです。そして彼らは主イエスに従うのです。
主イエスは自分を求めて集まってくる者ではなく、神の真理とか、幸いとか、正義とか、そのような理念を探求し、追求している者ではなく、日常を普通に歩んでいる者を弟子として招きました。ガリラヤ湖の漁師であるシモンとアンデレに声を掛けるのです。彼らは網を捨てて主イエスに従ったと聖書には記されています。彼らが捨てたのは網、つまり漁師という仕事です。しかし彼らは主イエスの弟子になってからも本質的には何も変わりません。漁師であった日常が弟子としての日常に変わっただけです。
しかし彼らは主イエスの弟子として、主イエスの後ろを歩き、寝食を共にして、主イエスの手足の動きや言葉や目に留める相手を真似ることで、人間を漁る漁師になっていくのです。従うとは、ボーと空いていくことではなく、師匠の一挙手一投足に神経を尖らせて観察し、その動きを真似ることです。真似ることで学ぶのです。
主イエスが私たちに伝える福音とはなんでしょうか。私たちはキリスト教とか、教会とか礼拝とか、なにか特別なものと考えているように思います。しかし信仰は、この世から逸脱した特別な事柄ではなく、あたり前の日常なのです。私たちは三度の食事をとるように聖書を読み、歩くように考え、呼吸をするように祈るのです。
そして私たちの教会が伝道をする相手は、キリスト教に興味を持ちそうな人、とか、聖書の勉強をしたい人とか、信仰に関心がある人々だけではなく、街中を歩いているときにすれ違う全ての人です。私たちは考えるキリスト教信仰から最も遠いと思える人こそ、神から招かれている人なのです。
最近、教会の伝道が困難だとか、宣教不振が進んでいると言われます。様々な要因も議論されます。しかし、世間でもて囃されない今だからこそ、私たちの信仰は純化されていると考えます。この時、主イエスに声を掛けられたペトロは、このように話します。「あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。」(一ペトロの手紙1:7)主イエスが最も困難だと思われるガリラヤから伝道を始めたように、私たちも伝道が困難だと思えるこの時にこそ伝道を進めましょう。そして教会の活動の進む先には必ず、私たちの経験したことのない喜びと希望が与えられます。
「救いの準備」2022/1/9
マルコによる福音書1:9-11
今年も三箇日に、駅伝が行われていました。私は、始めは作業をしながら見ていたのですけど、徐々に見入ってしまいました。真剣に走っている選手を見ていると、やはり片手間ではなく真剣に観戦した方が良いと思えたからです。駅伝の面白さは、優勝とかタイムよりも、チームメートが繋いできたタスキを、次のランナーに繋げる真っ直ぐな姿勢です。もし肉離れを起こすとか、体調を崩して棄権するなら、タスキを次に繋ぐことができません。自分に課せられた役割を果たすという緊張感のなかで、一人ひとりが任された区間を必死に守るのです。ですからスタート地点でタスキを待っている選手の目と、タスキを渡された後の目は、輝きがまったく違います。中継映像を見ていて、はっきりとスイッチが入るのが分かります。勝負というとなんだか敬遠されがちな風潮ですけど、正直、ひとりの人間が真剣に打ち込んでいる姿には誰もが、引き込まれるのです。そして、その姿に励まされるのです。
礼拝という場にあっても、私たちはスイッチが入る、という経験をします。礼拝が始まる五分前になると自然と礼拝堂の中が静かになります。決まり事としてではなく、自然とこのような姿勢が現れることは、素晴らしいことです。ドイツの牧師ボンヘッファーの言葉にこうあります。「行動は思考からではなく、責任に対する心構えから生まれる。」(Action springs not from thought, but from a readiness for responsibility.)私たちは「そうしなさい」と教えられたから、とか「そうあるべきだ」と強制されたから、礼拝前に静寂を作っているわけではなく、与えられた信仰に対して自発的に責任を果たそうとする心構えから、静寂な五分間が作り出されているのです。
責任とは応答です。神は私たちを信頼し私たちは神の信頼に応答する。責任を課せられたけれど結果が出せなかった。それでも良いのです。結果は目的のすべてではありません。お互いに真剣であれば、たとえ結果が好ましくなくても爽快です。次の行動に向かう力が与えられるのです。この神に対する応答が私たちの礼拝なのです。
さて、今朝、私たちが与えられました御言葉の場面で主イエスは、洗礼者ヨハネから洗礼を受けます。主イエスはそれまでどのように生活していたのか、聖書には記されていません。「ナザレの大工の息子」(マタイ福音書13:55)という聖書の言葉があります。また主イエスは、おが屑が目に入った時の自らの経験を譬えに用います。(マタイ福音書7:3)これらのことから推察するに、主イエスはヨセフの長男として家業である大工を継いでいたと考えるのが自然でしょう。
しかし、三十歳になった頃、主イエスはナザレを出て洗礼者ヨハネのいるヨルダン川へと向かいます。この三十歳という年齢ですが、現代に生きる私たちには若いと感じられるかもしれません。しかし当時の平均寿命が四十歳だったといことを鑑みるに、五十歳〜六十歳位の感覚で良いと考えます。十分にこの世の人生を歩んで、喜びも痛みもすべて経験されて、それから洗礼を受けられたのです。では、なぜこの時に、主イエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたのでしょうか。
先ほど読みました御言葉の最初に「そのころ」と書かれています。この頃、洗礼者ヨハネの下には多くもユダヤ人が洗礼を受けるために集まっていました。洗礼者ヨハネはその一人ひとりの全身をヨルダン川の水に浸し、起き上がらせて浄めるのです。このように水に全身浸けて身を清めるというやり方は、洗礼者ヨハネが最初に始めたものではなくユダヤでは昔から行われていました。例えば祭司たちは、神殿で礼拝行為を行う前には全身を水に浸けて入念に身体を洗い、身を清めていました。それは神の前に立つ、つまり聖所に入る前に、自分の身体にこびり付いている「世俗」の汚れを浄めるためです。
もう一つの例として、死海のほとりに修道院を作って共同生活をしていたエッセネ派と呼ばれるユダヤ教の教派も、同じように沐浴を大切にしていました。発掘されていた彼らの施設には、幾つもの沐浴場が作られていました。彼らは聖書の写本を行う前に、まず身を清めて、それから仕事に取りかかったと考えられています。
私たちも、大切な方に会いに行く時には、身ぎれいにして、神を整えて向かいます。招待された結婚式にジーパンを履いては出席する人はいません。同じです。自分が生きている「俗」から「聖」なる場所に移る。もしくは今、自分がいる場所から、感覚的に一段上がった場所に昇る、その「心構え」が、身を清めるという行為であり、洗礼者ヨハネが人々に授けていた洗礼です。人々は洗礼者ヨハネから洗礼を受ける事によって、神からの「罪の赦し」(マルコ福音書1:4)を求めていた、と聖書には記されています。人々は洗礼を受けることを切っ掛けにして、今まで犯してきた自らの罪を顧み告白し、悔い改め、神に赦して頂くことを求めるのです。こうして神の前に立つ心構えをしたのです。
しかし、洗礼者ヨハネは、自分が授ける洗礼はやがて来られる方の前に額ずくための、準備の洗礼であると話します。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」(マルコ福音書1:7-8)
この「優れた方」とは、メシアのことです。これまでユダヤの預言者たちが伝え続けて来た救い主。モーセがユダヤの民をエジプトから自由にしたように、人々を罪の束縛から解放される方。この方に拠って、王による支配が終わり神の支配が始まるのです
洗礼者ヨハネは、あなた方が今受けている洗礼によってあなたがたは一段、階段を上っただけで、まだ先がある、と話すのです。そしてその方、つまりメシアとは主イエスのことだと、私たちは知っています。
では、そのメシアである主イエスはなぜ、洗礼を受けられたのでしょうか。主イエスは神の子で、メシアであるならこの世の汚れを洗い流し、浄められる必要はないはずです。
マタイによる福音書では、洗礼を受けに来た主イエスを、洗礼者ヨハネが思い留まらせようとする様子が描かれています。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」(マタイ福音書3:14)主イエスは、ヨハネに対して「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」(マタイ福音書3:15)と答えます。
洗礼者ヨハネは主イエスに洗礼を授けることに恐縮するのです。しかし主イエスは洗礼を「我々にふさわしい」つまり「我々」の行いだと話します。洗礼を誰から受けたか、は問題ではなく、洗礼を受けて、次の場面が始まることに意味があるのです。この世の領域から神の領域に一歩踏み出すことに意味がある。人々の前で公然と自らの心構え表こと、それが水による洗礼の意味だからです。
タスキを渡されて走り始めるランナーのように、覚悟を決めて走り出すことが洗礼者ヨハネから受ける水による洗い清め、この洗礼の意味なのです。
主イエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受けます。ヨルダン川の河原で、沢山の人が順番待ちの行列に並んでいて、洗礼者ヨハネとヨハネの弟子たちが人々を水に浸して洗礼を授けています。主イエスはその一人として列に並び、洗礼を受けるのです。
そして「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて”霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。」(マルコ福音書1:10)と聖書には書かれています。天が裂ける、とは、空を覆う雲の間から陽光が差し込む、美しい光景です。光の軸のまわりを靄が柔らかく包みます。この景色が描かれている箇所が旧約聖書にあります。創世記のヤコブの物語です。ヤコブは兄エサウと争い叔父の住むハランの地を目指して逃げます。その途中、ヤコブは天使の階段を見ます。天が裂け、雲の間から光の帯が地上に差し、天使が上り下りしている様子を見るのです。ヤコブはその光景を見て、神が自分を見捨ててはいない。神はこの世界を支配されている、と確信し、ハランへの道を先に進みます。
きっと、主イエスが水から上がったとき、近くにいた多くの者たちも、洗礼者ヨハネもその弟子も、同じ景色を見ているのです。しかし、主イエスだけがその意味を悟ります。この世の暗闇に神の光が差し込む。これから自分が新しく進み始める歩みによって、この地上に光が差し込む、のです。神がこの世を創造されたとき「光あれ」(創世記1:3)と話され光がこの世に生じました。その瞬間、混沌の闇が消え去って神の秩序が現れたました。同じようにこれからの主イエスが行う福音伝道がこの世のすべての人々の魂を照らす光となるのです。
そして、主イエスの覚悟と決意に呼応して神は答えます。神は天から地上に声を響かせるのです。「すると『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」(マルコ福音書1:11)と聖書には記されています。この声もまわりに人々には遠雷か地鳴りにしか聞こえなかったのではないかと、そう考えます。しかし確かに主イエスの耳は、神からの応答を受け取るのです。
主イエスが神からの応答を頂く、この場面について、私たちは美しく喜ばしい出来事のように感じるのです。でも主イエスにとって、この応答は、ただ嬉しいことなのか、というと、そうではありません。なぜなら、この時、主イエスはすでに、自分が進む道の行き着く先を知っているからです。それは十字架ヘと進む道、十字架上での苦しみと死です。主イエスは御自分が十字架に架かり、切り裂かれた肉と流された血を贖いを代価として、人々は罪から解放されることを知っています。主イエスがここで洗礼者ヨハネから洗礼を受けて、先に進み出すということは、主イエスがこれから始まる苦難と痛みを負われる覚悟をした、十字架による犠牲を、自らの背負うべき責任として負われて、一歩前に進み出たということを意味するのです。そのための準備、自らを整えるために、踏み出すために、主イエスは洗礼を受けられたのです。
私たちが受けた、そしてこれから洗礼を受けられる方にとって、洗礼とは、神の前にあって自分の心構えを、自分の口で言い表す行いです。主イエスが自分の命のすべてを賭けて「私」に伝えた神の言葉を、「私」も命懸けで受け止めます、という決意を言い表すのです。主イエスが自分の命を賭けて「私」を救うために、「私」と向き合って下さっているのに「私」が中途半端な心根で応じる事は、やはり間違いなのです。結果ではありません。真剣に話し掛けて下さる方に、真剣に応じることは、やはり正しいことだと、私は考えます。それに、その方が爽快なのです。
聖書の御言葉に一言一言は、神が真剣に私たちに語られる言葉です。でも私たちは、裏切られる、避けられる、かわされることを恐れて、この言葉を斜に見たり、茶化したり、誤魔化したり、批判したり、逃げたり、捨ててしまいます。でもそれは、駅伝のランナーがそれまで必死に守り繋いできたタスキを渡されたとき、自分の肩に掛けず、地面に投げ捨てることと同じです。主イエスが十字架の苦しみを知りながらも、逃げる事なく、私たちに向き合ってくれたように、私たちも臆せずに向き合うのです。私たちがすべての体重を掛けてぶつかっていっても、主イエスは揺らぐことなく受け止めて下さいます。祈りましょう。
「少年イエス」2022/1/2
ルカによる福音書2:41-52
新しい年が与えられました。この一年、気持ち新たにして、共に主イエスの後に従って歩んで行きましょう。さて、新しい年が始まりました。私たちはこうやって毎年、年齢を重ねる訳ですが、でも心の在り方は、あまり変化していないように思えます。私自身を顧みるに、子どもの頃から殆ど成長していないように感じます。毎回同じようなことに悩んで、同じように考えて、同じような失敗をします。とはいえ知識や経験や体力、財力はそれなりに与えられて、子どもの頃に比べるなら、できることは格段に増えました。逆に肉体は宜しくない方向に変化していきます。身体は硬くなり、毎日薬を飲むようになりました。それに、あまり心が昂ぶることもなくなりました。でも成長の定義は、増加(増え加わる)ではなく成熟なのだそうです。つまり私たちはこの世の歩みを終える瞬間まで成長し続けるということです。
成長と言えば、この前のクリスマスに、教会学校のクリスマス会が行われました。子どもたちが沢山集まって楽しい会になりました。今回、おもしろかったのは、会場の真ん中にブルーシートを敷いてクッションを置いて寝そべれるスペースを作り、まわりを長椅子で囲むレイアウトにしたことです。小さい子どもたちは寝そべり、三歳児は私が膝の上でしっかり押さえつけても、逃げだそうと頑張ります。でも大きな子どもたちは長椅子に背筋を伸ばして座ります。思春期も始まった女の子は、詰まらなそうな表情をしながらも、ジッと様子を伺っています。それぞれの成長を見ることができて、とてもおもしろかったのです。こうやって人は、そして私たちも少しずつ成長していくのです。では、私たちはいつから大人になったのでしょうか。いつまでが子どもだったのでしょうか。
今朝、私たちに与えられました御言葉には、主イエスが十二歳だった頃の出来事が記されています。偉人の伝記などには、その人物の幼少期からの出来事が調べられて少々脚色されて、細かく書き記されるものですが、福音書には主イエスの幼少期の記事が殆ど記されていません。この箇所だけです。なぜなら福音書は、主イエスを偉人として、つまりナザレ人イエスとして、紹介するための文章ではないからです。
ではなぜここに、少年期の記事が記されているのでしょうか。それは主イエスが神の子であるけれど、私たちと同じ人間として、この世を生きられた、成長を味わったことを明らかにする為です。神は主イエスとしてこの世に生き、私たちの苦しみも病も生きづらさも、つまり痛みを味わわれ、そして喜びも味わわれるのです。神は空の上のどこか遠いところから私たちを見下ろして裁かれる方ではなく、私たちの心の機微まで鮮明に知られた上で、私たちと共に嘆かれ、諭され、憐れまれ、喜ばれるのです。
もう一つ、この記事から私たちは、私たちが大人になるとはどういうことか、を教えられます。人は年齢によって大人になるのではなく、人との関係性、として神との関係性に於いて一つの人格として形成されるのです。読み進めましょう。
さて、今朝与えられました御言葉の最初には、こうあります。「さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。」(ルカ福音書2:41-42)ユダヤには三つの大きな祭がありました。仮庵の祭、七週の祭、そして過越の祭です。この祭の、なかでも過越の祭の行われている期間には、ユダヤのすべての男性は、エルサレムに上らなければならないと決められていました。でも、そうなると、女性も子どももみんな連れだって、つまり村ごと全員で移動することになるのです。現在と違ってこの時代の旅は徒歩です。宿屋も食料品店もありません。村人のそれぞれが分担して宿泊のためのテントや食料、道具類を背負い、乳をだす山羊も連れて移動することになります。イエスさまの両親、ヨセフとマリアは毎年エルサレムに巡礼したと聖書には記されています。イエスさまも長男として、毎年、手を引かれてエルサレムに上っていたと考えられます。でも、この年の巡礼はイエスさまにとって特別な意味を持っていました。それはイエスさまが十二歳になった年の巡礼だったからです。
ユダヤ人の子どもは、十二歳になるとバル・ミツバと呼ばれる儀式を受けます。いわば成人式です。この儀式を受ける前の男子は、まだエルサレム神殿の前庭に入ることが許さていません。神殿で礼拝が行われている間、母親や幼い兄弟たちと共に、神殿の境内の婦人の庭と呼ばれている場所に留まらなければなりません。しかしバルミツバを受ける男子は、父親と共にはじめて神殿の前庭に入り、祭司に立ち会ってもらい儀式を受けるのです。
少年はまずタリートという布を肩から掛け、額にテフィリン(聖句箱)を着けます。小さな黒い箱のようなもので、中には聖句を記した羊皮紙が入っています。そしてテフィリンから伸びた黒い革紐を左腕に七回、きつく巻きます。申命記にはこのように書かれています。「今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。」(申命記6:6-8)このように記されている聖書に言葉を実現するためです。準備ができると少年は祭司の前に進み出ます。祭司は少年に聖句の箇所を質問します。例えば「詩編八十九篇を朗読しなさい」と質問するのです。
少年は何も見ずに、暗記している聖句を暗唱します。つまり神の言葉を毎日自分の心に刻み続けているかを確認する試験が行われるのです。今と違ってこの当時は、聖書の御言葉が書かれた巻物は神殿や会堂にしかなく、読むことができるのは祭司だけです。ですから人々は毎日七回行われる祈りの時間の度に祭司によって朗読される御言葉、そして安息日の礼拝の会堂で朗読される御言葉を聴いて覚えていました。そして家庭では父親が会堂で聞いて、覚えてきた御言葉を子どもたちに教えるように定められていました。
イエスさまも幼い頃から、父親の教える聖書の御言葉を聴いて育ち、バル・ミツバを受けて、正式に大人の男性として認められるのです。
現代でもエルサレム神殿の嘆きの壁の前ではバル・ミツバが行われていて、その様子を見ることができます。準備を終えた少年の横に父親と祭司が立ちます。そして少年は祭司の質問に答えていきます。バル・ミツバを終えた少年の表情はとても凜々く精悍でした。少し離れたところに女性の入ることのできる広場があります。胸ぐらいの高さの柵で嘆きの壁からに近付けないように仕切られているのですけど、この柵越しに母親たちが身を乗り出して我が子の晴れ舞台を見守っていました。その表情は誇らしそうでした。
さて、過越の祭が終わり、巡礼者はそれぞれ帰路につきます。ヨセフとマリアもナザレの村の人々と共にエルサレムを後にします。そして一日分の道のりを進んだところで、イエスさまが集団の中にいないことに気づくのです。「それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。」(ルカ福音書2:44-46)
両親はエルサレム中を歩き回って、ようやく神殿の境内でイエスさまを見つけます。人だかりができていて、近づくと真ん中にイエスさまが座っていて、学者たちから教えを受けています。人々はその受け答えを感心しながら聞いているのです。マリアは人垣に割り入り、座るイエスさまの腕を掴んで立ちあがらせて、外に引っ張り出し、叱りつけます。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」(ルカ福音書2:48)三日間、マリアとヨセフは必死にイエスさまを探したのです。連れ去られていたら、襲われていたら、事故にあっていたら、ただ生きていることだけを祈りながら、エルサレム中を走り廻り、行きそうな場所を探して回り、沢山の人に声を掛け続けました。そして見つけてみるなら、息子は親の心配をよそに、目を輝かせ、楽しそうに学者と議論しているのです。マリアは腹を立てるのです。しかし、イエスさまは平然とマリアに答えます。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」(ルカ福音書2:49)
なんだか反抗期にさしかかった、いけ好かない十二歳の言葉、のように聞こえます。でもそうではありません。確かに、事前に親に話して了承を取り心配を掛け無いようにするべきなのですけど、イエスさまの言葉には真理があるのです。
これまでイエスさまはこれまで母親、つまりマリアの一部だったのです。でも、もうバル・ミツバを受けて一人前の男子になりました。これからは自分の行動や言葉に対して責任をとらなければなりません。息子が自分とは別の一人の人格になったことを自覚していないのはマリアの方だったのです。
もう一つ、私たちはイエスさまの言葉から、聴かなければならない事があります。それはイエスさまがエルサレム神殿を「自分の父の家」(ルカ福音書2:49)と話したことについてです。この言葉について聖書注解者たちは、主イエスは「神の子」としての自覚を持たれた、というような解釈をするのですが、私は少し違うのではないか、と考えます。バル・ミツバは聖書を毎日の生活の中で読んでいるかを試す試験ではありません。それにユダヤ人社会の中で一人前の成人として属することを認められるための儀式でもありません。それは主なる神の前に、両親の口に拠る信仰告白ではなく、自分自身の信仰告白をすること。自分が神の子どもであることを自覚し、表明することに意味があるのです。大人になる、つまり成人になるということは、社会的に認められたなら、とか、一定の年齢に達したならとか、自動的になるものではありません。神と「私」との関係がその人の魂の中で確定したときに、人は一個の人格、一人の大人になるのです。
イエスさまはこの後、両親と共にナザレに帰り、「両親に仕えてお暮らしになった。」(ルカ福音書2:51)と聖書には記されています。「仕えて」(hupotasso)は「従属」「服従」です。つまり反抗期ではなかったのです。イエスさまはヨセフ仕事を継いで、家具大工としての仕事を手伝います。そして三十歳になった頃、神からの福音をすべての人々に伝える働きを始められるのです。
私たちはいつから大人になったのでしょうか。大人と子どもの境界線は年齢によって引かれるものではありません。自分自身の魂で神を自覚する時に引かれるのです。なぜなら私たちの魂が神を覚えるなら、私の罪をも自覚せざるを得なくなるからです。自らの罪を知ることによってはじめて私たちは、それでも赦される神の愛を知り、その愛でこの世と、そして隣人と関わることができるようになります。それが本来の大人なのです。
私たちは主イエスの成長の記事を読みました。主イエスは人としてこの世で生きられました。このようにして神はこの地上に降りてこられ、私たちのところにも降りてこられたのです。そして今、神は私たち一人一人の魂にも降りてこられます。新しく与えられたこの一年も、神と共に歩みましょう。
礼拝説教原稿
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