礼拝説教原稿

2021年1月

「自由になるために」2021/1/31

マタイ福音書5:17-20

高校生の頃、私の通っていた高校は多摩川沿いにあったので、この寒い時期に、堤防の上の道を使ってマラソン大会(五キロほどですが)が行われていました。でもとても嫌だった覚えがあります。なんで息を切らして苦しい思いをして走らないといけないのか、みんなが走っているから仕方なく、渋々、ダラダラと走っていました。
なぜ走りたくなかったのか、というと、単につらいからですが、でも強制されることが気に入らなかったのです。教師からすると、マラソン大会に向けて事前に練習することによって運動する習慣がつくとか、体力と持久力をつける事ができる。健康を維持することができる、つまり生徒にとって良い事だから企画しているのです。でも生徒は怠けようとしますし、つらいことを率先して行うわけもありません。ですから教師は欠席すると成績に影響するぞ、と暗黙の脅迫をかけるのです。となると生徒は渋々応じるしかない。でもこのような在り方が正しいのか、というと、やはり違うのです。なぜなら、明らかに自主的に走った方が、本人にとって良い結果が与えられるからです。
私は、大人になって趣味で自分から走るようになりました、そうなると走ることが楽しくなりました、走り込むごとに走るフォームが洗練されてペースも上がり、体力もつきご飯も美味しい。そんな変化が楽しいし、流れる風景も楽しいのです。部活とか授業とかなんで長距離が嫌いだったのか、と思うのです。そして、今は走れないので我慢ですが、体調を整えてまた走りたいと考えています。
私たちは強制されると反発するし、嫌々従いながらストレスを溜めてしまいます。ではどうすれば良いのか、と考えるに、たとえ強制された事柄であっても、相手の考えている意味と目的を、自分の意味を目的として引き受け、自分のモノとして受け止める。そして自発的に、自主的に行うことができれば良いのです。強要された事柄であっても自主的に行うなら、それは強要ではなくなります。そして結果も良いモノになるのです。

今朝、与えられた御言葉は、主イエスが人々に「山上の説教」を説かれた後の場面が描かれています。主イエスはこの言葉を通して人々に「自発的な信仰」の在り方を教えられます。信仰も、強制されるから、とか、習慣、儀式として、とか、みんながそう話すから、ではなく、自らの心と魂を直接、神に向け聞くことから始まります。神と私の一対一の対話から信仰は始まるのです。どなたかが信仰に招かれる過程に対して、教会も牧師も、場所と導入を提供する事はできますが、それ以降できる事は、反れないように見守ることだけです。そしてその方が、神と自分との一対一の関係に入れられるなら、今まで強いられているように感じられた聖書の御言葉も、受け入れられなかった聖書の御言葉も、私を成長に導いてくる掛け替えのない御言葉に代わるのです。今日の御言葉には主イエスと人々との関わりの、その過程が描かれています。共に聴いていきましょう。

さて、今朝の御言葉の場面はガリラヤ湖に面した小高い丘の上です。主イエスはガリラヤ湖周辺の町々、ガリラヤ地方の町や村を回り伝道を始められます。そして徐々に主イエスに従う人たちが増えます。そこで主イエスはガリラヤ湖に面した小高い丘に登られます。人々に教えを説きます。「八福の教え」とか「山上の説教」と言われる言葉です。
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。(マタイ福音書5:3-10)

主イエスの言葉を聴いた者たちはこの言葉に驚き、そして慰めを与えられます。彼らが今まで誰からも掛けられた事のない言葉だったからです。ガリラヤの地方に住む者たちは、聖書に書かれた預言者たちからもエルサレム神殿の祭司たちからも、「あなたがたは呪われている」とか「汚れている」と言われ続けていたのです。主イエスが話したように「あなたたちは幸いだ」と声を掛けられたことなどなかったのです。
なぜ彼らは「呪われている」と言われていたのでしょうか。そこには歴史的な背景と地理的な背景があります。歴史的にユダヤが南ユダ王国と北イスラエル王国に分かれていた頃、ガリラヤ地方は北イスラエル王国に属していました。そして北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされ捕囚され、沢山のアッシリア入植者が入ってきます。そのとき以来、純粋なユダヤ民族だけではなく他民族が混在する地域となるのです。
もう一つ地理的な背景があります。このガリラヤの地域はエルサレムに比べて肥沃な土壌を持つ地域であり、多くの農民が生活し働き、大麦や小麦やぶどうといった農産物を豊富に産出していました。またガリラヤ湖で獲れる魚は塩漬けにして周辺の国々に輸出されていました。加えて、ガリラヤはダマスコから地中海やエジプトに抜ける交易ルートの上にあり、多くの異邦人が行き来していました。商人たちは滞在し商取引を行うのです。後に洗礼者ヨハネの首をはねたヘロデ・アンティパスは、それでも、この世的にはかなり能力のある統治者だったので、ガリラヤ地域の経済力を見抜いていました。彼はガリラヤ湖に面した場所にローマ風の建築仕様をもちいてティベリアという都を作り経済を管理し、さらに発展させるのです。でも、良いことばかりではなく、農耕地として利用されていた内陸のエズレル平野には多くの湿地が点在していました。その影響で住民はつねにマラリアをはじめ幾つかの風土病に悩まされていたと考えられています。
ガリラヤは豊かに繁栄していたのです、しかしエルサレムに住むユダヤ人たちから経済的な優位は嫉まれ、信仰的には貶まれていました。なぜならユダヤ教の律法では、ユダヤ人は異邦人と関わる事が許されてないのです。一緒に食事をする事も、目を合わせて話しをする事も許されていません。でもガリラヤでは、異邦人と商売をし、宿を貸し、食事を提供しているのです。異邦人の風習や習慣も生活の中に浸透していたでしょう。

そんなガリラヤの状況を、エルサレム神殿の権威を後ろ盾にしていた祭司たち、貴族、ファリサイ派の教師たちは見下します。ユダヤの伝統や血統を汚す者たち、加えて神を蔑ろにする者たちと批判するのです。彼らだけではなく、ユダヤの庶民の間でも、ガリラヤ地方は訳の分からない疫病がはびこり異邦人とも交流する、律法を守らない者たち、劣った者たちの住む場所と、考えられていました。後に主イエスの弟子になるナタナエルがフィリポから主イエスを紹介されたとき「ナザレから何か良いものが出るだろうか」(ヨハネ福音書1:46)と話した、と記されています。この言葉からも分かります。
そんな、古くから劣等感を受け付けられながら生活していたガリラヤの者たちに、主イエスは「あなたがたは幸いです」と話します。「神はあなたがたを愛しています」と話すのです。加えて、目の前で多くの病を負った者や、体に障害を抱えた者たちを癒やされます。当時、彼らは神に忌み嫌われているから、痛みを負わされていると考えられていました。その彼らの痛みを、主イエスは拭われるのです。主イエスの言葉を聴き行いを見た者たちは、喜びに満たされるのです。
でも同時に、彼らは今まで自分たちが虐げられていた事について、疑問を持つのです。エルサレム神殿の祭司たちは、ガリラヤの人々に律法を守る事を強いてきました。守れないなら、呪われているとか汚れていると言って彼らに迫害を加えてきていたのです。でも主イエスという、神殿の権威よりも神の権威に近いメシアを前にしたとき、そしてその人が自分たちを認めてくれたときに、彼らの心のタガが外れます。彼らは、律法なんか守らなくても、神さまは自分たちを祝福してくれるし愛してくれる、と考えるのです。これまでずっと抑圧され続けてきただけに、その反動は大きいのです。
では主イエスは彼らに「あなたたちの考えは正しい」と話したのでしょうか。律法など守る必要はない、旧約聖書に記されている預言者の言葉など刷新されなければならない。古いユダヤの習慣はすべて廃棄するべきだと、話されたのでしょうか。そうではないのです。主イエスは「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。」(マタイ福音書5:17-18)と話されるのです。

一点一画の一点とはヘブライ語のアルファベットの一文字ヨッドを指す言葉です。ヨッドは点として表現されます、そして一画はカフという文字を表す言葉だといわれています。つまり天地が消え失せない限り、律法の言葉は残ると話されるのです。主イエスは彼らに律法を守るように教えます、でも、ただ守るように教えるのではないのです。祭司たちやファリサイ派の者たちに勝らなければならない、と話すのです。つまり律法を形だけ、見た目だけで守るのではなく、なぜ、律法にはそう決められているのか、内容を理解した上で、強いられるのではなく自発的に守りなさいと、そう話されるのです。
律法はもともと、神がモーセに与えた戒めの言葉です。神はユダヤの民が自分から離れて悲惨の中に入って行かないように、不幸にならないように、神が人間に対して愛情をもって託した言葉なのです。でも人はまだ若く神との関係はまだ浅かったので、神は「〜しなさい」という命令形で戒律を与えられるのです。しかし今、神は主イエスをこの世に送られました。それは神と人との新しい関係が始まった、ということです。人は主イエスと出会う事によって変えられます。神の前に正面から立つ事のできる者となるのです。そんな人を神は信用し、自分と一対一の関わりを持つことのできる一つに人格として認めるのです。そして人は命令形の言葉で強いられるのではなく、神の思いを汲んで自発的に律法を守ることとなるのです。
「廃止するためではなく、完成するためである。」と主イエスは話されます。命令された律法を守ることは、親の言いつけを守る子どもと同じなのです。対等な関係ではありません。でもお互いに対等な関わりが成立するなら、律法を自発的に守ることとなります。この対等な交わりが、主イエスの話される「愛」という関係です。

愛とは、相手を自分と同一の存在として誤認することです。人は主イエスを介して神との新しい関係の内に入れられたのです。

主イエスを知り、信仰を与えられた私たちは自由です。この世の何ものにも支配されません。国のも権力にも財力にも屈する事はありません。しかし自由であるという事は強いられないという事であって、行わないということではありません。かえって自由であるからこそ、自発的にこの世での役割を自発的に推し進めて行くのです。
使徒パウロはエフェソの信徒へ送った手紙の中でこう書きます。「奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。」(エフェソ6:5-7)私たちはこの世にあって自由です。ですから強いられた事柄を自主的に行うのです。

「自分の時と神の時」2021/1/24

マタイによる福音書4:12-17

このところ、誰かと対面で会話をするという事に少々抵抗を覚えます。コロナ感染症を配慮して会話を短く切り上げた方が良いのかなぁと、無意識にブレーキを掛けてしまうのです。会話したとしても、深く踏み込む内容を避けているように思えます。でもこうなってみると、雑談とか他愛のない会話とか、いままであまり意味が無いと思っていた会話の余白の中に、随分と心が動かされた言葉があったり、新しく考えるヒントが与えられていたのだと、あらためて気づかされました。これは必要、不必要と効率的に割り切って簡潔に物事を進める事も大事なのです。でも人間はそれほど規格通りに作られている訳ではないのです。逆にゴチャゴチャに詰めこまれたおもちゃ箱のような、混沌とした状態の方が本来、人間の生きやすい環境なのです。例えば、透きとおった水を湛える湖は美しいのですが、魚とか生き物には住みにくい環境です。澱んで生ぬるくて、沢山の微生物が生きていて、腐敗した流木や枯葉が堆積しているいわゆる濁った汚い水の中に、多くの生き物は住みつくのです。信仰についても同様です。揺るぎない信仰とか、絶対的な教義、誘惑を断つ汚れのない心、といった在り方を私たちは自らの信仰に求めます。時々勘違いして、既に手に入れて仕舞った気になることもあります。でも私たちは揺らぐし、不完全だし、汚れを負っています。私たちは生き物です。
でも、だからこそ神は私たちに信仰も救いも与えて下さいます。神の如く万能になるのではなく、神の恵みに生かされていると自覚しつつ感謝をして生きることが、本来の私たちの在り方なのです。
そして今朝、与えられました御言葉に描かれているガリラヤという地域は、罪や汚れ、神の救いから見放された者たちが住む場所、とユダヤ人たちが軽視していた地域です。でも主イエスはエルサレムからではなく、この「異邦人のガリラヤ」から宣教を始められるのです。主イエスの宣教の始めの出来事を共に読み進めてまいりましょう。

さて始めに、先ほど読みました御言葉の最初には「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。」(マタイ福音書4:12)と書かれています。この「退かれた」という言葉からみていきたいと思います。
主イエスはヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、「悪魔から誘惑を受けるため、霊に導かれて荒れ野に行かれた。」(マタイ福音書4:1)と記されています。
この荒れ野とは、エルサレムから死海の方向に向かった先だと考えられています。乾燥して、灌木しか生えないような荒れた土地に主イエスは向かわれ、そこで断食されます。すると誘惑する者が来て、イエスに「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」と話します。主イエスは「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」と答えられます。次に悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」と話します。聖なる都とはエルサレムのこと、神殿の屋根の端とは、ケデロンの谷に面した城壁の上と言われます。城壁の端から谷底まで七十メートルほどの高さです。さらに悪魔は主イエスを非常に高い山に連れて行きます、そして、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と話します。この非常に高い山とはエリコの西十一キロほど先にある郊外の山だといわれています。しかし、主イエスはこれらの誘惑をすべて断られるのです。
主イエスが誘惑を受けられたと聖書に記されている場所は、エルサレムからエリコに繋がる死海付近であり、この時、主イエスはエルサレム周辺の地域に滞在されていたと分かります。そして、この場所で、洗礼者ヨハネがヘロデ・アンティパスに捕らえられ、牢に入れられたという知らせを聞いたと考えられます。
洗礼者ヨハネは人々に神の国が近づいた、つまり聖書に記された終末が近いことを告げて、ヨルダン川の水で罪の清めの洗礼を授けていました。エルサレムとユダヤ全土から多くの人々が洗礼を受けるのです。でも、エルサレム神殿に仕える祭司たちファリサイ派の教師たちは、洗礼者ヨハネの運動を認めているのかというと、そうではないのです。そもそもエルサレム神殿に捧げものをし、礼拝を捧げることによって罪を清められている筈のユダヤの人々が、大挙して洗礼者ヨハネに悔い改めを求めて、洗礼を受けて清められている、のであれば、エルサレム神殿の権威など失われてしまうのです。
一方、洗礼者ヨハネも、エルサレム神殿の権威を激しく批判します。「ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。」(マタイ福音書3:7-8)。
洗礼者ヨハネはエルサレム神殿の権威について、神に栄光を帰していない間違った信仰だと話すのです。この緊張関係の最中に洗礼者ヨハネは捕られるのです。

さて、洗礼者ヨハネの弟子たちは指導者を失います、それだけではなく、洗礼者ヨハネを鬱陶しく思っていた祭司たちやファリサイ派の人々は一気に攻勢にでます。つまり洗礼者ヨハネの弟子たちを迫害し始めるのです。ではこの揉め事に、主イエスは巻き込まれなかったのか、というと、そうとは考え難いのです。主イエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受けていました。なにより洗礼者ヨハネは弟子たちの前で主イエスを「神の小羊」と呼んでいます。つまり、主イエスは洗礼者ヨハネの側の者です。そして洗礼者ヨハネの後継者と目されても不思議ではない立場にいたのです。では主イエスはどうなさったのか。「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。」(マタイ福音書4:12)と聖書には書かれています。この「退く」(ajnacwre÷w anachoreo)は「立ち去る」とか「逃げる」という意味の言葉です。主イエスは自身にも降りかかるだろう迫害を避けるためにガリラヤへ逃げたのです。
でもなぜ主イエスは、戦うのではなく逃げたのでしょうか。もし洗礼者ヨハネが捕らえられた時、主イエスが洗礼者ヨハネの後を引き継いで、彼の弟子たちを自分の弟子にする事もできたのではないか、と、そう思います。そもそも洗礼者ヨハネは「悔い改めよ。天の国は近づいた」(マタイ福音書1:15)と話し福音宣教を始めます。主イエスも「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と同じ言葉で伝道を始めているのです。特にこの時期、エルサレム神殿は政治と強く関わり権威的になりユダヤ人たちから不評を買っていました。洗礼者ヨハネが捕らえられたタイミングで主イエスが彼の代わりに立てば、エルサレム神殿の権威や、加えてユダヤを半植民地化していたローマ帝国とも、戦うことができたのかもしれません。少なくとも、洗礼者ヨハネの働きを引き継ぐことは、できたでしょう。もし洗礼者ヨハネの弟子たちを自分の弟子にする事ができれば、主イエスのこれから始める伝道にはとても強い力になるはずです。でも主イエスはそうはされないのです。主イエスは「逃げる」のです。
しかし、この主イエスの行動の中に、私たちは神の後ろ姿を見ることが出来るのです。つまり、それが、そもそもの神のご計画であったと、聖書には記しています。それが十四節からの御言葉です。「それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。『ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。』」(マタイ福音書4:14-16)
神のこの世の人々を救う計画は、人の思いや考えを遙かに超えた仕方で、着実に進められる、と聖書は話しています。そして主イエスは預言者イザヤの言葉にあるようにナザレではなく「異邦人のガリラヤ」つまりカファルナウムに向かわれます。そこで漁師のペトロに声を掛け自分の弟子にして、福音宣教を始めるのです。

当時カファルナウムを含めてガリラヤ湖周辺の町に住む者たちは、ユダヤ人から見て「暗黒に住む民」と見られていました。なぜならこの地域には異邦人も多く住んでいて、部族外婚も進んでいたからです。血が混ざることを嫌うユダヤ人たちにとって、彼らの存在は汚れです。なぜなら、神から与えられアブラハムから引き継いで守ってきたユダヤ人の血を他の部族の血と混ぜる行いだったからです。イザヤが話す「ゼブルンとナフタリ」(マタイ福音書4:15)も、この部族外婚を指す言葉です。「ゼブルンとナフタリ」はイスラエルの十二部族の二部族の名前です。紀元前七四〇年頃に北イスラエル王国はアッシリアに攻め込まれます。それがこのガリラヤ周辺からエルサレム手前の地域です。この戦いに敗れた北イスラエル王国の男性は奴隷として、労働者や兵士として働かせる為に連れて行かれ、代わりにアッシリアの入植者たちが入ってきます。その結果、部族外婚が進みアッシリア人とユダヤ人との間に生まれた者たちが、サマリア人となります。
そしてイザヤは、血を汚し、神に恵みを蔑ろにした者たちの住むガリラヤ、闇の深いガリラヤから、しかし神はこの場所から、救いの光が差し込まれる、と話すのです。そして、主イエスの働きによって、この預言が成就するのです。
主イエスの宣教活動はこのガリラヤから始まりました。そこは、この世の闇の深いところ、様々な文化、民族、言葉、習慣が混在し、絡み合い縺れるところでした。でもだからこそ、つまりここに住む人々は自分の不完全さ罪、汚れ、弱さを自分の事として知っていたから、主イエスの言葉を正しく聞き、多くの者たちが、それはユダヤ人も異邦人も含めて、また病を負う者、傷を負う者も含めて多くものたちが主イエスに従うこととなるのです。対してエルサレムに住む人々は、純粋な血族である事を誇り、エルサレム神殿で礼拝を捧げ、律法に絶対的な権威を置いていました。ユダヤ人である限り自分たちは神の祝福の中に置かれている。汚れも罪もない、と彼らは考えていました。では主イエスが彼らを見放したのか、というとそうではありません。
ガリラヤで長く宣教活動をされた後に、最後にエルサレムに上り、自分の命を用いて、つまり十字架に架かることで彼らに、本当の神の愛の姿、信仰の在り方を示されるのです。そして、彼らをも救われるのです。
「逃げる」という行動ついて聖書は肯定的に捉えています。旧約聖書に描かれているヤコブもダビデもモーセも預言者エリヤもエリシャも敵対者から逃げています。でも神を信頼しているからこそ彼らは「逃げる」ことができるのです。逃げてもいい、失敗しても、間違ってもいい、それでも神は、逃げた先に新しい生活を与えてくれるし、新しい土地で、いままで経験できなかった新しい生活を与えて下さると信じることができるのです。自分の命を保つ事、生き残る事が私たちに対する神からの一番の命令なのです。かえって、自分の自尊心を守る為に、負けを認められないとか、自分の間違いを認めることができず謝れない、という在り方は神への不信の結果です。自分の望むタイミングではなく神に時を聴き、委ねつつ共に歩みましょう。

「主イエスに従い行くは」

マタイ福音書4:18-25

以前、小さな劇団のお手伝いをしている時に、私は裏方をしていたのですけど、それでも公演の前になると、少しばかりチケット販売のノルマがありました。そうなると片っ端から知り合いに声を掛けて買ってもらうことになるのです。立ち上がったばかりの劇団でしたから、ほとんどの観客は、関係者の知り合いや、知り合いの知り合いだったように思います。でも幸いな事に、公演を重ねるごとに知り合いの知り合いが知り合いに声を掛け、少しずつ客席に新しい方の顔が増えてきました。それはとても興味深い経験でした。
声を掛けて人を集めることは難しい事です。でももっと難しいのは、次の公演にもう一度来てもらう事だと、そのとき気づかされました。来てくれた友人が「来てよかった」と思える「何か」を提供する事ができたなら、今度は向こうから聞いてくるし、喜んで来てくれます。でも、その「何か」は意外な「何か」でした。内容が面白いとか、考えさせられるとか、笑える泣ける、技術や演出がすごい、といった「何か」ももちろん大事なのですが、でも大事なのは、舞台と客席の一体感を感じられるか、だと気づかされました。つまり芝居を見ている観客が、役者の芝居や舞台の世界感に入り込めること。自分も隣に座っている人も一緒に舞台を見て、同時にビックリしたり、笑ったり怒ったりできること。この一体感を感じること、がその「何か」の答でした。
なぜ、こんな事を話したのか、と言いますと、今朝与えられた御言葉に、「大勢の群衆が来てイエスに従った。」(マタイ福音書4:25)と書かれていることについて考える為です。大勢の人たち、そして後に活動を共にする十二人の弟子たちは、なにを求めて、主イエスのもとに集まったのでしょうか。私たちが教会に集う、ということについて、共に御言葉に聴いていきたいと思います。

さて、主イエスの伝道の始め場面が、今朝与えられました御言葉には描かれています。主イエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、人々の前に姿を現し伝道活動を始めます。
主イエスはまず何をされたのか、というと、これから弟子となるシモンと、その兄弟アンデレに声を掛けるのです。「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。」(マタイ福音書4:18)
主イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いていて、二人の漁師が舟の上から網を投げている姿を眺めています。彼らは網裾に重りをつけた網を投げ、その網がパーッと湖面に広がっていきます。重い網を投げるのですから腕力が必要ですし、揺れる舟の上からバランスをとって網を投げるためには、相当の脚力が必要です。ですから腰に布を巻いただけの体はガッシリとした体格で、毎日外で仕事をしているのですから、顔も腕も体も日に焼けて黒くなっていたでしょう。そんな彼らに、主イエスは声を掛けるのです。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マタイ福音書4:19)彼らはこの呼びかけを聞いて、すぐに網を捨てて従ったと聖書には書かれています。
でもなぜ主イエスは漁師であるペトロに声を掛けたのでしょうか。ペトロが熱心な信仰者だったから、とか、人並み外れて体力があったから、とか、知性的だった、家柄が良かった、なんてことは一言も聖書には書かれていません。
なぜ主イエスがペトロを選んだのかは分かりません。でもただ一つ解ることは、私たちの選びの規準と、神の選びの規準は違う、という事です。もしこれから私たちが伝道活動を始める、として弟子を選ぶとするなら、口が達者で見た目も美しくて人気があって、能力も才能も備えていて、信仰も揺るぎなくて、生活も非の打ち所がない者を選ぶのです。でもペトロはどこにでもいる普通の漁師です。日に焼けて真っ黒で、口よりも腕力が立つ。当たり前に生活し、当たり前にユダヤ人としての信仰生活を営んでいる一人の男なのです。
しかし彼には一つだけ優れたところがあります。それは主イエスに声を掛けられたときに躊躇せずに従った、ということです。「網を捨てて」(マタイ福音書4:19)とは、生業としての漁師という仕事を辞めた、という意味です。でもこのことの意味はもう少し広範囲に及びます。今と違って当時の仕事は個人ではなく組合のような形で営まれていたと考えられています。現代と違って人一人の労働力には限界がありますから、舟も網も共同で使い、共に漁に出向き力を合わせて仕事をしていたのです。つまり彼は漁師仲間の今までの付き合いからも離れた、ということです。地域の付き合い、子供の頃からの仲間、仕事仲間、商売相手、今まで積み上げてきたすべての関わりから離れるのです。でも誤解しないでいただきたいのは、彼は家族との関係を捨てたわけではない、という事です。それはペテロの姑は後の主イエスから癒された(マルコ福音書1:29)、という記事から分かります。そして主イエスはペトロの兄弟アンデレ、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブに声を掛け、彼らも主イエスに従うのです。

彼らが主イエスに従った、という事について、私たちに分かることは、彼らが主イエスの教えを聞いて納得して、信仰的に共感して関心を持ったから従った、のではない、ということです。では主イエスに人間的な魅力を感じて従ったのか、というと、そうでもないのです。この時、洗礼者ヨハネの名前は知れ渡っていましたが、主イエスは彼らか洗礼を受けただけの、公に認めたられた弟子ではありません。エルサレム神殿に仕える祭司の家系というわけでも、ファリサイ派の学者という訳でもないのです。なんていうことはないナザレという山間の貧しい村の大工なのです。
でもペトロは、主イエスに声を掛けられたとき「何か」を感じたから従った、と考えるのが自然です。今まで彼が属していた地域という共同体、職場という共同体、家族という共同体、それらの、人と人との横の関わりから繋がる共同体では満たされなかった「何か」を主イエスの言葉から与えられたのです。その「何か」とはなんでしょうか。

主イエスは「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マタイ福音書4:19)と話されます。子供の頃から今まで、ペトロは湖に網を投げて魚を採り、売れる魚を選り分けて市場に持っていき、商売をしていたのです。でも主イエスはペトロに「人間をとる漁師にしよう」と話されます。では集めた人間をどこに持っていくのか、それは神に捧げることになるのです。つまりペトロは主イエスから神のために働く共同体に招かれるのです。新しい共同体に招かれ、そしてペトロは主イエスに従ったのです。
さて、主イエスに病を癒やされた人たちも、主イエスに従ったと、今朝読まれました御言葉には、記されています。「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った。」(マタイ福音書4:23-25)
主イエスはペトロたち弟子を連れて、ガリラヤの諸会堂を回って多くの人々に教えを説かれます。ユダヤ人たちは過越祭などの大きな祭の時にはエルサレム神殿に詣でますが、毎週の安息日には自分たちの町の大通り沿いに建てられた会堂で礼拝を捧げていました。そしてこの礼拝堂は礼拝の為だけに使われていた訳ではなく地域の集会所、子どもたちの学校、商業施設としても使われていました。
主イエスはその会堂を巡って主イエスは人々に教えを説き、「御国の福音」を伝えるのです。その言葉の内容はマタイ福音書5章から始まる「山上の説教」に記されています。
そして会堂の門の外には、病気を負った人たちも多く集まっていました。なぜなら彼らは会堂の中には入ることを許されなかったからです。この時代、病気に掛かるなら、二つの苦しみが与えらました。それは肉体的な痛みや不便。もう一つは、共同体からの阻害という痛みです。人々は神に嫌われたから、もしくはその人の親や親族、祖先が神に逆らったから病を与えられた、と考えていたのです。ですから彼らは会堂の外で神に赦しを求めて祈ります。加えて、ここで行き交う人から施しを受けて生活しているのです。
その会堂の外にいる彼ら、それまで誰もが、祭司たちやファリサイ派の者たちであっても目を背けていた者たちに、主イエスは声を掛けられるのです。神に厭われている、汚れていると人々が避けていた彼らに手を触れて癒やされるのです。その噂を聞いた者たちは、家の中で人前に出さずに暮らさせていた病を負った家族も、主イエスの下に連れてきます。そして主イエスは彼らも癒やされるのです。
主イエスは彼らの肉体の健康だけではなく、神に嫌われている、汚れている、という汚名も拭い去られました。加えて、彼らだけでなく彼らの家族も回復を与えられるのです。そして彼らは主イエスに従います。今まで彼らが属していた共同体、つまり自分たちを汚れた者として貶んでいた共同体から別れて、自分を愛してくれる神の共同体に自らの意志で入って行くのです。
ペトロ、つまり弟子たちは主イエスに声を掛けられ従い、病を癒やされた人たちは自ら進んで主イエスに従います。彼らは今まで自分が属していた共同体から離れて、新しい神の共同体に属する者へと変えられるのです。そして、この転向が主イエスの話される「悔い改め」の意味です。
主イエスが宣教の始めに「悔い改めよ。天の国は近づいた」と話されたと聖書には記されています。この悔い改めるとは、立ち返るという意味の言葉です。もともと自分がいた場所、属していた場所、これからいるべき場所に立ち返るという言葉の意味です。そして主イエスに出会った人たちは、立ち返ります。自分がそれまで属していたこの世の共同体から離れて新しい共同体、偏見のない自由な、神によって集められ愛される共同体に立ち戻されるのです。彼らは、主イエスに従います。それはただ、後ろからついて行くのではなく、その群れの中に自分が属する、ということです。

私たちは様々なこの世の共同体に属して生活しています。その囲いの中に留まっているならば、生ぬるく居心地が良いのです。でも、その共同体の内側に染みついている一方的な価値観や偏見、力関係に束縛される事になります。疑問に思いながらも妥協し続ける事になる。でも主イエスはその様な私たちに声を掛けて下さいます。「悔い改めなさい、私に従いなさい」と私たちに声を掛けられます。この声によって集められた私たちの集いが教会という、この共同体です。この世の価値観や理念、利害に支配されない。私たちは主イエスの御身体としての教会に属するのです。

「我々にふさわしいこと」2021/1/10

マタイ福音書3:13-17

先週の一月六日は教会暦で顕現日と呼ばれる日でした。占星術の学者たちがお生まれになった主イエスを訪ねた日として覚えられています。
でもなぜ、この日が大事に祝われるのか、というと、救い主が異邦人である学者たちに自らを明らかにされた日、だからです。つまり救い主はイスラエルの民ではなく、私たちも含めて、全世界の人々の救い主であり、その主イエスが姿を現された公現祭として祝われるのです。最近は日本でも、この時期に洋菓子屋さんに行くと、ガレット・デ・ロア(東方の博士のケーキ)というケーキが売られるようになりました。これはもともとフランスの公現祭で食べられた特別なケーキです。パイ生地の中にアーモンドクリームの入っていて、中にフェーヴという陶器の小さな人形が入っています。みんなで切り分けていただき、フェーヴが入っていた人は幸運が一年間継続するといわれています。ちなみに、今年、私のケーキにフェーヴが入っていました。幸運が続くと良いな、と願います。

さて公現祭ですが、そもそもこの日に祝われていた主題は、博士たちの来訪の物語を基調にしたものでなく、主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けた時のことを覚えるお祝いでした。でも同じ主題、つまり主イエスが救い主としてこの世界に姿を現した出来事、として同一化されるのです。でも、後に主イエスの洗礼の物語の印象が薄れ、博士の物語が主題として一般的に認知されるようになりました。なぜなら主イエスが洗礼を受けた、という聖書の記事の解釈について、そもそも罪のない御子である主イエスが罪を洗い流す為の洗礼を受ける意味などない、とする意見が教会の一部にあったからです。教会が社会の中で権威的になり、主イエスの神性が強調されるようになると、主イエスの洗礼の出来事、つまり神が人間となられた、という主題が覆い隠されるようになるのです。でもマタイだけでなくマルコ、ルカ福音書にも同じ記事がありますので完全に隠すことはできません。その結果、徐々に公現祭で主イエスの洗礼の物語が触れられなくなり、博士の物語が主題になったと考えられます。
でも、だからこそ私たちは、主イエスが洗礼を受けられたという聖書の記事について、真摯に向き合ってその意味を聴いていくことが必要なのだと思います。なぜ神の御子、罪なき神の小羊の主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けなければ成らなかったのか。概して人間が自分たちの都合で黒く塗った箇所に神の真実があるものですから。今朝は主イエスが洗礼者ヨハネから受けた洗礼について、共に、聴いていきましょう。

さて、ではなぜ主イエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたのでしょうか。そもそも、洗礼者ヨハネの授けていた洗礼とはなんだったのでしょうか。
主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けた年齢はおよそ三十歳だったと聖書には記されています。それまでの主イエスの日常について、聖書にはほとんど触れられていません。ただ両親と共にナザレの町で成長されたことはわかります。ルカによる福音書には、十二歳の過越祭の時にエルサレムに上られた時の記事があり、あと「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」(ルカ福音書2:52)と記されています。
そして時が来て、主イエスは洗礼者ヨハネのもとに行き、洗礼を受けられます。この時、洗礼者ヨハネと彼の弟子たちは、ヨルダン川の河岸で大勢の人に水による洗礼を授けていました。訪れた人たちは自分の犯してきた罪を告白し、ヨルダン川の水に全身を浸されて洗礼を授けられるのです。「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。」(マルコ福音書1:5)と聖書には記されています。そして洗礼者ヨハネは、列の中に主イエスがおられるのを見て驚くのです。「そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。『わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。』」(マタイ福音書3:13-14)
洗礼者ヨハネは主イエスを思いとどまらせようとした、と聖書には記されています。なぜ彼は主イエスが洗礼を受けるべきではない、と考えたのでしょうか。なぜなら彼は主イエスが神からのメシアであると見抜いていたからです。もう一つ、彼は自分が神から与えられている役割を理解していたからです。彼の役割は、メシアが仕事を始める前の露払いであり、道を整える役割です。預言者イザヤの預言した言葉を行うのが彼の役割なのです。「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。」(イザヤ40:3)建物を建てる前の整地、調理をする前の下ごしらえが自分の役割であり、それが自分の仕事だと彼はわきまえていたのです。
洗礼者ヨハネは、今、自分の目の前にいる主イエスの前に、すべての人が立てるようにするために、人々に洗礼を授けているのです。そのために水で洗い身を清め、自分の口で今まで犯してきた罪を告白することによって、自分の罪を自覚し魂を清める、水による清めの洗礼を授けていたのです。身も魂も清くなってメシアの前に立つための洗礼なのに、その来たるべきメシアが同じ洗礼を受けるのでは、話しがおかしくなる、と彼は考えるのです。
でも、ここに洗礼者ヨハネの過ちがあります。洗礼者ヨハネはメシアを、罪なく汚れなく完全な存在でなければならない、と考えていました。そうあって欲しいと信じていたのです。でも主イエスは、「神が人となった」「神の子としてのメシアが与えられた」という意味を誤解してはいけない、と洗礼者ヨハネにお教えになります。「しかし、イエスはお答えになった。『今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。』」(マタイ福音書3:15)
例えば裁判官が被告人を裁くために、裁判官はすべての事柄に於いて完全に無実でなければならないのか、というとそれは不可能なことです。では、例えば裁判官を人間ではなく、罪を犯さない機械に入れ替えればよいのか、というと、それでは正しい判決を下すことはできません。自分自身も罪を犯し、人間の心には悪意や不正の根が必ずあると知っていて、人間が生きる上での嫌味や苦しみ、理不尽や矛盾を知っている。人間の感情の機微を知り、自分自身の心も動いている、その前提があって始めて裁判官は裁きを下すことができるのです。
同じように、神が肉体を持たれたということも、ただ見える形として肉体を持たれた訳ではありません。主イエスが三十歳になって洗礼者ヨハネのもとに来た、と先ほど話しました。それまで主イエスはナザレの町で大工として普通に生活していたのです。それがどんな生活であったのかは、聖書にも聖書外の資料にも残されていないので、私たちにはわかりません、でもその詳細に意味があるのではなく、主イエスが日常を生活されたことに意味があるのです。主イエスはこの世を生きられた、つまり神はこの世の命を味わわれたのです。

イザヤ書にこうあります。

「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。 主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように、この人は主の前に育った。見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。わたしたちは羊の群れ 道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて 主は彼に負わせられた。」(イザヤ書53:1-7)

主イエスが汚れなく清く美しい存在であることを私たちは求めるのです、でもそこに、真理はありません。そうではなく汚れなく清く美しい存在である神が、あえて自らを人間の生きるこの世に降りてこられ、人間として、当たり前に心の奥底に抱く、悪意や嫉妬、憎しみ、不正の根を自分自身のこととして覚えること、人間が生きる上での経験する嫌味や苦しみ、理不尽や矛盾を自分自身のこととして味わわれること。文字で読んだり、誰かから聞いたり見て知るのではなく、神が人間の罪のただ中に埋没されたということが、主イエスが母マリアからお生まれになったというクリスマスの出来事なのです。

神は井戸に落ちて泥だらけになって、凍えながら叫んでいる私たちの所に、降りてきて下さり、自分も泥だらけになりながら、寒さに震えながら、私たちの体に命綱を結びつけ井戸から外に送り出される。それが主イエスの受肉という出来事なのです。
ですから主イエスは引き留めようとする洗礼者ヨハネに「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」(マタイ福音書3:15)と答えます。この「正しい」(dikaiosu/nh dikaiosune)は、世俗の正しさ、ではなく神の前に正しいという意味の言葉です。つまり主イエスは洗礼者ヨハネに、神に対する人の願望や思いではなく、「今は」(マタイ福音書3:15)神の計画に従う事が、私たちにふさわしい、と話すのです。つまり主イエスは、洗礼者ヨハネから洗礼をうけることによって完全にこの世に降られ、本当の意味での人間となられたのです。
そしてヨルダン川から上がられた主イエスに、神の霊が鳩のように降り、その様子を主イエスはご覧になったと、聖書には記されています。洗礼を受けるということは人間の業ではなく神の業です。教会にできることは、その人と神を繋ぐことであり、あとは神が直接その人に神の霊を送られるのです。

この世の人間である私たちが洗礼を受けることによって、神の前に立つ準備をし、一つの神から与えられた命として、そこから神との関係を確立して行くこととなります。つまり洗礼はスタート地点に立つことです。同様に主イエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受けることによって、完全に人間としてこの世に降られ、この世の人々の前に立つ準備をし、そこから人間との関係の中に埋没されるのです。
ですからこの後、主イエスは荒野に向かわれ四十日四十夜の苦難を経て、人々の前に姿を現され、伝道の働きを始められます。その伝道の果てに主イエスは十字架に掛けられ、命を落とされます。十字架に掛けられた主イエスを前にして、主イエスの言葉と業によって救われた者たちも、それ以外の者たちも主イエスを拒みます。弟子たちも逃げ、誰一人味方する者がいないなかで主イエスは命を絶たるのです。主イエスはこの世で肉体を持たれただけでなく、私たちと同じようにこの世を生き、罪の痛みも孤独も空虚もすべて自分のこととして背負われ、そして天に帰られるのです。
神は私たちの祈りを聴いてくださいます。なぜなら神はこの世に降られ主イエスとしてこの世を生きられ、私たちが下りていくこともできないこの世の一番低い所まで降られ、その苦しみや、悲しみも味わわれているからです。

神は私たちを心の奥底にある闇も喜びも知っているのです。知っていてそれでも自分の子どもとして許して下さる。私たち一人一人に「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マタイ福音書3:17)と声を掛けて下さるのです。信仰とは、この神の愛に答える私たちの感謝の思いなのです。

2021/1/3「苦難に勝る慰め」

マタイによる福音書2:13-23

私たちキリスト者が心掛ける事の一つに「傾聴」があります。傾聴とは相手の心に自分の心を傾けてその言葉を聴くこと、です。それは主イエスが魂に傷を負った多くの人々の切実な訴えに耳を傾けられたように、また多くの人々が主イエスの言葉を、心を静かに、耳を澄ませて聞いたように、お互いの話す言葉だけではなく、その背後にある思いも含めて丁寧に受けとめていくことです。ヤコブの手紙の中に、こう記されています。「わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。」(ヤコブの手紙1:19)なぜこのような事を話したのかというと、新年礼拝の説教を組み立てていく中で、昨年の世界の動きを振り返っていて、昨年は世の中から傾聴という感覚が失われていた年だったように思えたからです。多くの人々が他人の意見を聞かず、その言葉から耳をふさいで、それぞれが自分の言葉ばかりを言い放っていたような、そんな世の中の雰囲気を強く感じていたのです。それはコロナ禍による混乱の影響もあるでしょう、政治家たちも経営者たちもメディアに溢れる言葉も、相手の言葉を聴いて思いを受けとめるのではなく、言葉じりを掴んで、わざとねじ曲げて批判するような、そんな非難の応酬がつねに行われていました。なんだか居心地の悪さを感じさせられていたのです。ですから自戒を込めて、今年はすべての人が「傾聴」し会えるような年になれば良いな、と、願うのです。

でもなぜ私たちは「傾聴」することができないか、の理由は分かっているのです。どんな時に自分は人の言葉を聞くことができていないのか、と考えてみるなら、忙しい時、自分の手がけていることに口を出されたくないとき、自分でも大失敗をしたと自覚しているけれど、他人から指摘されたくないとき、です。つまり心が自分にしか向いていないときに、私たちは他者の言葉を聴けられなくなるのです。人の言葉が「うるさい」と感じられるような心の状態になっているとき、心はドアを閉めて鍵を掛けています。そして同時に、心は神の存在をも占めだしているのです。でもだから、私たちは祈り、心を神に向けることによって、あるべき、相手の言葉を聴くことのできる自分へと引き戻されます。それが信仰に与えられた恵みなのです。

さて、今朝与えられました御言葉に記されているヘロデ大王も、晩年になって他人の言葉に、そして神の言葉にも耳を傾けなくなって行きます。そして痛ましい方へと向かっていくのです。

先ほど読まれまし御言葉に描かれているヘロデとは、主イエスが十字架に掛けられたときにユダヤの王だったヘロデ・アンティパスの父親です。わかりにくいのでヘロデ大王と呼ばれています。彼は聖書の物語の中で、最も残酷で悲惨な出来事として記されているベツレヘムの幼児虐殺を行ったユダヤの王です。彼は生まれたばかりの主イエスを殺すために、ヘツレヘムで産まれた二歳以下の幼児をすべて殺すようにと命令を出します。なぜ彼はこのような悲惨に手を染めたのでしょうか。でも聖書や聖書外の資料を読み進めるなら、もちろん、彼の行ったことを肯定することはできませんが、でも、私たちも彼と本質的には違わない考え方を往々にしまっていることに気づかされるのです。自問しつつ、共に御言葉に聞きましょう。

さて、物語の場面は先週からの続きになります。主イエスがお生まれになったとき、その事を東の方から来た占星術の学者たちはその知らせを受けて、急いでユダヤの地に出向きます。彼らはエルサレムの町に入り人々に尋ねます。聖書にはこのようにあります。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(マタイ福音書2:2)東の方から来た者たちが新しく生まれた王をエルサレム市内で探している、との話しを聞いたヘロデ大王は、エルサレム神殿に仕える祭司たちや、ファリサイ派の人々、つまり聖書に精通している者たちを集めて、預言者たちの言葉の中で、メシアがどこに生まれると書かれているのか、と尋ねます。彼らは「それはダビデの町ベツレヘムです」と答えます。この言葉をきいてヘロデ大王は密かに東の方から来た占星術の学者たちを宮廷に迎え丁寧にもてなし、その星が輝いた時を聞き出します。そして、ベツレヘムの場所を教え「見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」(マタイ福音書2:7)と送り出します。でもヘロデ大王はお生まれになったメシアを拝む気など、いささかも考えてはいないのです。そして東の方から来た占星術の学者たちはベツレヘムで御子に出会い、喜びに包まれ持参した宝物を渡し、帰ります。でも天使のお告げを受けたので、ヘロデの所には拠らずに彼らは直接、東の国に帰ることにするのです。

彼らが、宮廷に寄らずに帰ったことを知ったヘロデ大王は激怒します。そして、ベツレヘムで産まれた二歳以下の幼児をすべて殺すように命令するのです。

ヘロデ大王についてですが、彼は単なる残忍で無能な独裁者ではありません。彼は知略、政治力に長け、軍事に於いても多くの勝利を重ねる優秀な人物です。彼はハスモン家の治世からユダヤを引き継ぎ、当時、世界を制覇していたローマ帝国を後ろ盾にして王位を得ます。その治世は三十四年に及び、ユダヤは経済的にも文化的にも繁栄を与えられます。彼はユダヤにローマの建築技術を導入して競技場や港、要塞などを建設します。今で言うところのインフラの整備をおこない雇用を生みだし、国際競争力を高める政策を行うのです。でも、それだけではなくユダヤ人にとって最も大事な、そして心の支えであったエルサレム神殿の大改築を行います。エルサレム神殿は紀元前十世紀にソロモン王に依って建てられた後、バビロンの王ネブカドネザルがエルサレムに攻め込んで来たときに崩されユダヤの民はバビロンに捕囚されます。しかし紀元前五世紀になって捕囚から解放されエルサレムに帰ってきた者たちによって神殿は再建されました。でも国としての力は弱かったので、さしあたり程度の建築に留まっていました、その神殿をヘロデ王は大改修するのです。現在、エルサレムというと嘆きの壁の映像が映し出されますが、この城壁はヘロデ大王によって修復され整備された当時からの城壁です。

このヘロデ大王ですが、しかし彼はたびたび暗殺の陰謀に悩まされます。なぜなら彼は生粋のユダヤ人ではなくエドム人であり、アブラハムから続くユダヤの王位を継ぐ立場にいなかったこと。ユダヤにヘレニズム文化や異邦人の風習を持ち込んだこと、また大祭司の任命と解任に手を出したこと、から、エルサレム神殿に仕える祭司たちからも強い反感をかっていたのです。ですから暗殺の陰謀が企てられる度に、またその兆候が生まれる度に、彼は幾たびも粛正と称して、政敵を処刑していきます。王権を手に入れてからすぐに、前政権であったハスモン家の王族をすべて処刑します。また彼は身内であっても信頼しません。叔父や叔母、王になる前から連れ添っていた最愛の妻マリアムネも暗殺の陰謀に加担したという事で処刑せざるを得なくなり処刑するのです。でも、彼は政治に関しては飴と鞭を使い分けるセンスをもっていて国民に対しては適切な政策を実行します。例えばユダヤで大飢饉が起きて国庫が空になったときには、彼は所有していた私財をすべて売り払って周辺の国々から食料を調達し、人々に配給したと言われています。そもそも生粋のユダヤ人ではなくエドム人である彼がユダヤの王として三十四年間も王政を維持し、死後も三人の息子に王政を継いだことからも、彼がいかに国民の人気を得ていたのか、また治世の能力があったかを知る事が出来るのです。

そんなヘロデ大王ですが、晩年には王位継承問題に悩まされます。彼はマリアムネとの間に生まれた息子たちをローマに送り、教育を受けさせていて、将来は王位を継がせるはずだったのですが、結局、彼らを処刑することになります。疑心暗鬼が進み、敵を処刑する頻度も増えていくのです。

このように彼の在り方を見ていると、聖書に記されているベツレヘムの幼児惨殺の出来事が、彼の中では破綻した特別な行動ではなかったと分かります。彼にとっては既定路線の行動なのです。彼にとって王位は絶対な価値なのです。最愛の身内を自分の手で殺しても維持し自分の支配下に置かなければならないモノなのです。だから、客観的に見ても、幼児を惨殺するなどと言うことは、どう考えても常軌を逸した異常で残酷な行いですが、彼にはその悲惨も、そして母親たちの泣き声も届かないのです。十八節にはこうあります。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」(マタイ福音書2:18)ユダヤ人にとってラケルは愛する息子を連れ去られた母親の嘆きと悲しみの象徴です。つまりベツレヘムを深い悲しみが覆ったのに、しかしその泣き声も、彼の耳には届かなかったのです。そして彼は七十歳で天に召されます。彼の命は幸いだったのか、そして彼の治世の時期にユダヤの人々は幸いだったのか、というと、どうでしょうか。何か、私には現代の世の在り方が重なって見えるのです。

でも、その一方で、ヨセフとマリアは神の言葉を聴きます。「占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。『起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。』ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。」(マタイ福音書2:13-15)彼らは神の声を聴き、御子イエスは守られるのです。彼らにとってエジプトまでの旅程も、エジプトでの生活は楽ではなかったと想像できます。でも神は彼らを守ります。そしてヘロデ大王が死んだ後に彼らはユダヤに帰ってきますが、ベツレヘムではなく故郷であるナザレに帰ります。そこで御子イエスは成長するのです。

誰かの言葉が「うるさいなぁ」と感じる事があります。でもそのような時、神は後ろから私たちの腕を掴んで、引きとどめて下さっているのです。私たちがヘロデの様に悲惨の中に飛び込んでいかないように、愚かさと悲しさの中に向かっていかないように。ですから、そのような時には、少し立ちどまって、神に心を向けて祈りを捧げましょう。それだけで、心が開かれ、言葉とその思いを聴き取ることができるように変えられます。どうか私たちはこの年にあって、この神の御手をそれぞれの魂の内に覚え、腕を掴んで下さっている事に感謝しつつ、神の御声を求めましょう。祈ります。