礼拝説教原稿

2018年8月

「人の噂より神の言葉」2018/8/26

マルコによる福音書12:28-34

私は新製品という言葉に弱いのです。新しい洗濯用の洗剤とか店頭に並んでいると、つい買って試したくなります。その点、うちの順子さんは冷静です。「新製品が出たのなら今までの洗剤が安くなっているんだから、それを買ってきて」とまったく動じることはないのです。でも彼女の話すことの方が正解です。新しい物、特別な物より普通でありきたりの物の方が、優れていることの方が多いのです。なぜ、この様な事を話したのか、といえば、私たちの信仰についても、同じ事が言えるからです。つい私たちは特別な経験や、素晴らしいひらめきが与えられた時に、信仰を得る事ができた、とか魂が癒やされ救われた、と考えるのですが、そうでないのです。神は既に私たちに救いを与えられています。それはこの聖書です。私たちは此処に、既に答が与えられているのです。でもこの聖書を読む為には鍵が必要です。それは主イエスの十字架という鍵です。その十字架によって、この聖書は開くのです。この鍵について今日の御言葉には書かれています。

さて、主イエスがエルサレムに入られた時、主イエスと弟子たちは多くの民衆の歓迎を受けたと、聖書には書かれています。それらの人々はエルサレムに住むユダヤ人だけでなく、過越の祭りを祝うために上京してきた者たちも含まれていたと考えられます。それはイスラエル国内の町々、さらには他国で生活している者たち(ディアスポラ、離散したユダヤ人と呼ばれる人たち)も、この過越の祭りを目指して上京していたからです。エルサレムは通常は3万人くらいの人口の都市なのですが、この過越の祭りの前後には10万人もの人々が集まったと言われています。なぜ、それほどまでの人々がエルサレムに集まったのか、というと、それは過越の祭りが彼らにとって特別な祭りだったからです。

過越の起源はどこにあるのか、というと、それは出エジプト記に描かれたモーセの物語にまで遡ります。モーセは神からエジプトで奴隷として働かされているユダヤの民を解放しカナンまで導き出すようにとの啓示を受けます。「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」(出エジプト3:10)そこでモーセはエジプトに上り、イスラエルの民をエジプトから解放するように、エジプトの王ファラオに掛け合うのです。しかしファラオは申し出を断ります。なぜなら奴隷はファラオにとって自分の所有物だからです、それにエジプトに於いて必要な労働力でもあります。そう簡単に手放す訳がないのです。そこで神はエジプトに対して十種類の災害を与えます。ナイル川の水を血に替え、蛙やブヨ、アブが人々を襲います。家畜に疫病が蔓延し、腫れ物が流行り、雹(ひょう)が降り、イナゴの群れが農作物を食べ尽くし、太陽が隠れエジプトは暗闇に包まれるのです。そして最後、つまり十個目の災害は「人間から家畜に至るまで、全ての初子を撃つ」というものです。しかし神は「家の入り口の二本の柱と鴨居」に仔羊の血を塗った家は過ぎ越されます。神を信じて柱に血を塗ったユダヤの民の家の長男だけは生き残るのです。これが過越の由来です。ファラオの長男もこの災いによって命を落とします。そしてファラオはイスラエルの民を留めさせる事を諦め、解放するのです。つまり過越の祭りとは、自分たちユダヤ民族が神によって、奴隷の身分であったエジプトから救いだされたことを記念する祭りです。神は、イスラエル選ばれ、自分の民として選り分けられた。ユダヤ人はこの祭りの中で自分たちの民族意識を高揚させるのです。

過越の祭りについて、それがユダヤ人にとってのような意味を持つのかが分かると、主イエスが入城された時のエルサレムの雰囲気が見えてきます。この時代、イスラエルは一つの国として自治権を認められていましたが、実質的にはローマ帝国の属州としてローマの支配下に置かれていました。自尊心の高いユダヤ人にとって、この状況はとても容認できる事ではありませんでした。そんなの時機の最中(さなか)に主イエスはエルサレムに入城されました。エルサレムの町は過越の祭りの準備の為に沸き返っているのです。モーセがエジプトからイスラエルを解放したように、エルサレムに救い主が使わされて、自分たちを解放してくれるのではないか、ですから人々は主イエスに期待したのです。ローマ帝国に奴隷の様に扱われている自分たちを主イエスは解放してくれるかもしれない、そう考えるのです。

主イエスがエルサレム入城と共に祭司や律法学者によって捕らえられなかった訳も、こうなると見えて来ます。彼らは「群衆を恐れて」主イエスに手を出せなかったのです。

でも彼らは主イエスの為されるままに手をこまねいて、ただ見ていたのか、というと、そうではありません。彼らは自分たちのやり方で、主イエスを貶(おとし)めようと考えるのです。それは彼らが最も得意とした学問、つまり聖書や律法の知識によってです。彼らとの議論に破れた主イエスはやり込められ、その姿を見た民衆は主イエスに失望するだろうと、そう考えるのです。では、この様な祭司たちや律法学者たちのこの様な企みに対して、主イエスはどの様に応じたのか、というと、主イエスは正面から引き受けられるのです。主イエスはこのエルサレムに入られた時から「イチジクの木を枯らす」ということ以外、いっさい不思議な業を行われないのです。「それはこの時、エルサレムにいた者たちのただ一人も、その信仰が神に向いていた者がいなかったからだ」と、その様に話す神学者もいます。でもそうではなく、主イエスは真っ向から祭司たちや律法学者と対峙されたと読むのが正しいと私は考えます。たとえ自分を追い込もうとしている敵であっても、真摯に向き合い、その言葉を聞かれるのです。敵を愛するとは、自分に敵対する相手であっても尊重し、侮(あなど)らず、見くびらず、疎(おろそ)かにしない事です。彼らは主イエスに幾つもの質問をします。神殿の権威について、先ほど話した皇帝への税金について、人の復活について、たぶん聖書に記されているよりももっと多くの議論を、彼らは主イエスに吹っ掛けてきたのだと思います。しかし、主イエスはその言葉に対して、ことごとく「立派にお答えに」なられます。「立派に」という言葉は「巧みに」とか「美しく」という意味に訳す事ができる言葉です。主イエスの答は美しかったのです。祭司や律法学者たちは、当初、主イエスを貶(おとし)める為に議論を吹っ掛けたのです、しかし彼らは主イエスの、その美しい答えに魅了されてしまうのです。

そしてその様子を見ていた一人の律法学者は、主イエスの前に進み出て質問します。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」

なぜ、彼はこの様に尋ねたのでしょうか。それは、彼が日夜研究し追求しているユダヤの律法が、彼には美しいと思えなかったからだと思います。当時のユダヤの掟には、しなければいけない戒め(積極的戒律)が248、してはいけない戒め(消極的戒律)が365、合計613の戒めがありました。これは613のミツワーと呼ばれます。つまり613もの不調和な戒律が散らばっていたのです。でも彼はこの混沌を貫く一つの美しい答えがあるのではないか、と、それを主イエスに聞くのです。では、主イエスは何と答えられたのか。

「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」(マルコ12:29-31)

この律法学者は、主イエスの言葉をどの様に聞いたのか。この言葉は主イエスの独自の言葉ではありません。申命記6章に記されている言葉とレビ記19章の言葉です。主イエスは既に聖書に書かれている言葉を引かれて、答えられるのです。そして、この律法学者にとっても、この聖書の言葉はあらためて言うまでもなく、何度も読み、頭にも心にも刻みつけられている御言葉です。子供の頃から読み、教えられ、彼自身も律法の教師として人に教えてきた言葉です。ですから彼は、主イエスの言葉のあと、すぐに、この言葉を繰り返します。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」(マルコ12:32−33)律法学者は理解するのです。主イエスがなぜこの二つの御言葉を聖書の中から引いたのか、その中心を貫く言葉は「愛」なのです。つまり主イエスは、バラバラに散らばっている613の全ての戒律は「愛」という一つの言葉によって束ねられると此処で答えられるのです。

主イエスの答は特別ではないのです。そこには奇を衒(てら)うようなあざとさも、目を向けさせるための狡猾(こうかつ)さもありません。でも、そこに真理が在ります。主イエスはこの様に話します。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」(マタイ福音書13:52)またこの様にも話します。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」(マタイ福音書5:17)。

主イエスはこの律法学者に「あなたは、神の国から遠くない」と話されます。でも「遠くない」なのです。つまり彼はまだ天の国に入っていないのです。なぜか、それは彼がまだ主イエスの十字架を見ていないからです。本当の愛を見ていないからです。全ての人に裏切られても、敵対しても、その者の命を保つ為に自らの命を投げ出すこと、主イエスが十字架の犠牲を通して見せた、その愛を知る事なく、神の国に入る事はできないのです。この律法学者は、数日後に主イエスの十字架を見るのです。そして本当の愛を知ることとなります。つまり混沌を貫く一つの美しい答えを知る事となるのです。私は彼が主イエスの十字架を仰ぎ見た、と思います。そして理解したのだと、思います。

「変えるべきを変える勇気」2018/8/19

マルコによる福音書12:1-12

「ある人がぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。」と先ほど読まれました御言葉には記されています。そして収穫の時が来たので、ぶどう園の主人は人を送り、収穫を受け取ろうとします。

この話を読むにあたって、ぶどう園について幾つかの知識を得ていた方が、この物語をより深く読む事ができます。とは言え、私も実際に自分の手で葡萄を育てた事はないので、様々な本を読んだ知識ではあります。

まず葡萄園について、この聖書の書かれたカナン地方にあって葡萄園を作るには、何十年もの長い年月が必要な作業だったと言われています。カナン地方は砂漠気候ですから、地下の水脈が深いところにあり、葡萄の苗を植えてもそれが根付くまで何十年も掛かるのです。ですから先ず苗を植えて、それが根付いたことを確認して、そこに新たな苗を植えるのです。そして葡萄の木を増やしていき、ようやく、その場所が葡萄園になります。この根付いた葡萄を大きく育てていく作業にも、時間と手間が掛かります。水捌けが悪いと病気になるので、水捌けをよくするために砂利を敷き、土地を耕し勾配を付けます。そして枝を剪定し、切った枝はその場に落とすのではなく集めて一箇所で燃やして灰にし、畑に撒いて肥料にします。そのような丹念な作業を繰り返して、丈夫で太い幹を育てていくのです。しかも、現代の葡萄の木と違って、葡萄棚ではなく胸の高さ位の幹ですから、農夫にとっては屋根のない屋外で、強い太陽の下、腰を屈めての重労働となります。では、ようやく収穫した葡萄はどうするか、というと、そのまま果物として市場に出荷する訳ではありません。まだ作業は続きます。収穫の時期だけに集めた季節労働者たちと収穫した葡萄は、葡萄園の中で実を搾り、大きな瓶に貯めて発酵させます。そして葡萄酒となってからようやく出荷されるのです。この様にして作られる葡萄園ですから、葡萄園として葡萄を収穫できる土地は高い財産価値を持っていた、という事がわかります。自分の土地に葡萄の苗を植えれば、何処でも葡萄園になる、というわけではないからです。つまり葡萄園は当時の世界にあって、砂漠の中のオアシス、水場にも等しい価値があったということです。先祖から受け継いだ葡萄園は嗣業の土地なので例え国王でも売り渡すことができないのです。(列王上21)。

となると、先ほど読みました御言葉の意味が見えて来ます。

まず「垣(かき)を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て」という言葉の意味です。それほどに葡萄園は価値のある土地ですから。近隣の略奪者に襲われ、土地ごと奪われる事があったのです。当時は、現代の様に所有地を国が守ってくれる訳ではないですから、自分たちの土地は自分たちで守る事となります。ですから垣と見張りのやぐら、それに自衛の為の守衛も置かれます。つまりこれらの設備は、収穫物を守るというよりも、土地そのものを守る為のモノであったわけです。そして「搾り場を掘り」ですが、葡萄を搾るのは絞り器ではなく、足で踏みます。つまり地面を掘ってそこに石を敷き詰めて、モルタルで目地を埋めてプールを作って、絞り場にする訳です。もう一つ大事な事は、長い年月、何年もの争いのない平和な時代が続かなければ、葡萄園は作れませんし、維持する事もできないということです。つまり葡萄園の主人が収穫を受け取る為に僕を送った、と言うことは、長い間争いのない平和な時代が続いていた、ということです。

では葡萄園の農夫たちは送られて来た僕たちを、どうしたのか、です。「農夫たちは、この僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせないで帰した。そこでまた、他の僕を送ったが、農夫たちはその頭を殴り、侮辱した。更にもう一人を送ったが、今度は殺した。そのほかに多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。」(マルコ福音書12:3-5)と書かれています。葡萄園について知識無しでこの聖句を読みますと、この農夫たちは、なんと理不尽で残酷なことをするのだろうか、と思えるのですが。でも農夫たちは長い年月にわたって、過酷な労働を強いられ、外敵から脅かされ、必死になってこの葡萄園を維持してきた、という事がわかると、少々、農夫たちに対して同情的な感情も生まれてきます。幾ら、そもそもこの葡萄園が借り受けている土地だとわかっていても、彼らは、過酷な自然環境の中で、長い年月の間、毎日毎日苦労をしてきたのです。また夜な夜な代わる代わる見張りのやぐらに立ち、外敵が襲ってきた時には、武器を片手に総出で立ち向かい、命がけで戦ってこの土地を守ってきたのです。そう考えると、この農夫たちの心情も分からなくはない。のです。

さて、ようやく、本題に戻ります。

主イエスはそれまで伝道活動をしていたナザレの地を離れエリコを経てエルサレムに入られます。そのエルサレムで主イエスを迎えたのは、多くの民衆の歓迎の声でした。主イエスは子ロバの背に乗り、堂々とエルサレム城壁の門をくぐり、境内に入ります。その時、エルサレム人々は自分の上着を脱ぎ道に敷き、棕櫚の葉をふりながら大歓迎で迎えられるのです。それは敵国との戦いに勝利した王の凱旋を出迎える時に行われる仕方で主イエスがエルサレムに迎えられた、ということです。弟子たちは、些か拍子抜けしたのだと思います。なぜなら彼らは、主イエスと共にエルサレムに入るなら、すぐに戦いが始まるか、捕らえられると考えていたからです。主イエスは既に祭司たちや律法学者たちから敵対視されていました。しかし、そうはならないのです。あまりにも民衆が強く主イエスを支持し、歓迎するが故に、祭司も律法学者たちは主イエスに手を出せず、静観するしかなくなったのです。では主イエスは、その民衆からの人気に乗じて、祭司たちや律法学者たちを懐柔する、とか協調するような姿勢を見せるのか、というと、まったくそうではありません。主イエスは神殿で商売をしている商人を追い出し神殿の権威に背くのです。さらに、集まってくる多くの人々に教え始めます。そして、ますます人々は熱狂的に主イエスを支持し、褒め称える様になります。人々は口々に、イスラエルが待ち焦がれた救い主が与えられたと言い始めるのです。その様子をみて、祭司たちや律法学者たちは主イエスをそのままにしておけない、と、危機感を覚えます。彼らにとって聖書に約束されているメシアは高貴な存在であり、自分たちのように律法に忠実で、神殿の権威に従い、しかもダビデ王の血を継ぐ者でいなければ為らなかったのです。「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言われていたナザレ出身の、貧しい身なりをした大工の息子が聖書に約束された救い主なるなどあり得ない事なのです。「イエスが神殿の境内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、言った。『何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。』」(マルコ福音書11:27-28)しかし彼らは民衆を恐れて主イエスに手を出すことができません。それだけではなく知恵でも知識でも議論でも、彼らは主イエスに敵わないのです。そして彼らは、主イエスにたいして嫉妬ではなく殺意を抱き始めるのです。

この様な状況の中で、主イエスはこの譬えを彼らに話したのです。「まだ一人、愛する息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。農夫たちは話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』そして、息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。」(マルコ福音書12:6−8)

先ほど、葡萄園の農夫たちも同情の余地があるのではないかと、話しました。彼らは必死に命がけで葡萄園を守ってきました。だから、この葡萄園は自分たちの物だと、誰にも渡さないと、そう思っても仕方がないのではないか、と。この「祭司長、律法学者、長老たち」も農夫たちと同じなのです。彼らも、必死にエルサレムの神殿を守ろうと命を賭けているのです。でもだから、彼らは本当に守るべき大切なものを見失ってしまうのです。葡萄園の農夫たちが為すべきことは、葡萄園の主人の使いを追い返したり殺したりすることではありませんでした。そうではなく感謝することでした。良い葡萄園を任せて預けたくれたこと。その豊かな恵みを収穫する喜びを味わわせて頂いている事。平和が長く続いていること。農夫たちの為すべきことは、主人が送った使いと共に、そして主人と共に喜ぶことだったのです。「祭司長、律法学者、長老たち」も同様です。彼らも、主イエスと共に神の恵みを喜べば良かったのです。しかし、彼らはそれができなかったのです。農夫たちと同じように、神から最後に使わされた一人息子である主イエスを殺す道を画策し、彼らは過越の祭りの中で実行します。ローマから派遣されている総督ピラトを煽り、主イエスを十字架に掛けて殺すのです。

では、神は「戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。」(マルコ福音書12:9)という言葉の様に、この世に下りてきて、ユダヤ人を滅ぼされたのか、というとそうではないのです。神の救いの業は、私たちの想定を遙かに超えて進まれるのです。「『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』」(マルコ福音書12:10−11)主イエスは人々から捨てられ、弟子たちも逃げ去り、ただ一人、十字架上で死ぬのです。しかし、人々が捨てた主イエスを神は用いて、この世の全ての人を救う土台とされます。神は主イエスを復活させ、生かすという想定外の仕方で、弟子たちに現れ「死に依って私たちは何も失われない、空しくされない」ことをこの世に明らかにされるのです。

生活にしても信仰にしても、必死になる、熱心になる、ということは良いことです。ヨハネの黙示録には「熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。」(ヨハネ黙示録03:16)という言葉があります。でもその前に一つの前提が必要なのです。それは「神に感謝し神を信頼する」と言う前提です。私たちは一生懸命になると周りが見えなくなってしまいます。自分しか見えなくなる。そうなると、自分が与えられている、そして与えられて来た多くの恵みが見えなくなるのです。もし神に感謝の祈りを捧げられなくなったなら、その時は立ち止まる時です。神は立ち止まる時を与えられているのです。

「常識と非常識」2018/8/12

マルコによる福音書10:46~52

最近、言葉をアルファベット二文字で略するのが流行、というか、一般化している様です。少し前に運転しながらラジオを聞いていまして、TKという略語が使われていました。「やっぱり朝ご飯はTK」とか「究極のTK」とか話している訳です。なんの略かというと正解は「卵かけご飯」だそうです。こう言う高度な略語はさておき、KYという略語は随分と一般的になっています。KYつまり「空気読めない」の略語です。若者だけではなく、たぶん一般に人々にも広く浸透している言葉です。

なぜ、この略語が広く使われているのか、というと、この言葉が私たち日本人の社会性を最も的確に表している言葉だからだと、思います。山本七平は「空気の研究」という著書の中で「あらゆる議論は最後には『空気』できめられる。」と話します。日本と言う国に於いて、会議の議論を決定づけるのは、論理でも人情でも正論でもなく、それに支配者の言葉でもなく、その場の雰囲気、つまり「空気」だと彼は話すのです。簡単に言うなら、日本人は何が正しいか、とか、何が自分の利益になるか、ではなく「隣の人の顔色」を判断基準する傾向がある、という事です。(会社社会は空気に支配されています。その場の雰囲気によって簡単に結論が覆る。だから物事を進めようとするなら、事前に根回が必要になるのです)

この様な社会にあって、私たちもやはり、いつのまにか「みんながこう言ってますよ」的な情報操作に乗せられてしまうのです。だから「何が正しい事か」という判断ではなく「有名な先生がこう話されているから」とか「新聞で、ネットでこう言われているから」とか、そんな言葉を信じてしまう。なにより怖いのは、全体が間違った方向に進んで行っているのに、その間違いを正すと「あなたは空気が読めない」と批判されたり「非常識な人だ」と裁かれることになる。「わざわざ場を乱さなくても」とか「あなたは自分が目立ちたいだけ」とか言われ、発言自体がなかったことにされる、のです。

それが日本人の民族性なのだから、そのまま従うしかない。という考えもあります。私も子供の頃からそういう風に教育されて来ましたし、それが当然だと考えて来ました。でもやはり、神を知った信仰者は肯定してはいけないのです。なぜなら私たちは絶対的で普遍的な存在を知っているからです。ヨブ記にはこの様に書かれています。「しかし、わたしはそれに限界を定め二つの扉にかんぬきを付け『ここまでは来てもよいが越えてはならない。高ぶる波をここでとどめよ』と命じた。」(ヨブ38:10-11)

私たちはこの詩で読まれている、絶対で永遠で不偏な神の前に立つ事を許されています。それは主イエスの犠牲によって私たちは贖われ罪を清められたからです。そして私たちがこの神の前に立つなら、祈り聴くなら、私たちは「みんなが言っている答え」ではなく「普遍的な一つの答を知る事ができるのです。私たち神から判断をする知恵を与えられているのです。しかし、その知恵を放棄する事は自らの命を放棄する事に等しい行いです。

更に私たちは、この世の何人たりとも覆す事ができず、動かす事もできない言葉を与えられています。それが聖書です。此処にある言葉は、週刊誌や新聞に記されている波間に漂うペットボトルのような言葉ではありません。そこには何が書かれているのか、というと「神は愛である」と書かれているのです。この愛とは自らを犠牲として献げても相手を(それが敵であっても)生かす愛です。この愛が全ての判断基準となり、全てを決定付け、全ての真理の核となるのです。私と神の一対一の関係において与えられたビジョンに対して、全ての者が「反対意見を言い。誰ひとり「私」に耳を貸さない状況にあっても、それが試練を伴うものであっても、示されたビジョンに向かって進むこと。でもそれが信仰です。それは正直、世間的には非常識なあり方です。世間に迎合し妥協し歩調を合わせるのが常識的なあり方です。

先ほど読みました、御言葉に描かれている、ひとりの男、その名をバルティマイと呼ばれる盲目の物乞いの行動は、まさに非常識な行動です。しかし彼は常識と言われる見えない雰囲気に屈しなかったが故に、確かな信仰へと導かれるのです。

さて、御言葉の最初にこの様に書かれています「一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒にエリコを出て行こうとされたとき」(マルコ福音書10:46)

主イエスと弟子たちはナザレを出てエルサレムへ向かいます。でも、この道のりは観光旅行のような楽しい旅ではなく、決意の旅なのです。主イエスは御自分がエルサレムに上られた後、過越の祭りの只中にあって十字架に掛けられ、死を受け取ると知っていました。主イエスはナザレを出るときに、弟子たちに何度も、御自分が受難を受けられると話しています。「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」(マルコ福音書9:30)そして弟子たちも、主イエスが捕らえられて殺されるかどうか、は分からないけれど、主イエスと共にエルサレムに上るなら、少なくとも、主イエスと共に戦わなければ為らないと、ユダヤの下役たちやローマ兵と戦うなら、先ず命はないだろうと、覚悟しているのです。そんな状況の中で彼らはどの道を通ってナザレからエルサレムを目指したのか、というと、この時、主イエスは当時の王道ルートを歩かれるのです。

少し内陸を進んでサマリア人の町を横切る、とか、ヨルダン川の向こう岸を下るとか、そんな姑息な道を主イエスは選ばれません。正々堂々、ヨルダン川の右側を下り、エリコに向かわれるのです。そして丁度その時、年に一度の過越祭をエルサレムで守ろうとする巡礼者たちも、大勢、この道をエルサレムに向かって進んでいます。当然、巡礼者たちも主イエスの噂を聞いているし、主イエスがエルサレムに上るなら一騒動起きると、何となく気がついているのです。当時も今も巡礼というと物見遊山な雰囲気の旅になるのですが、この時の主イエスとその周囲の人々の歩みは、緊張感を持ったものとなったのでしょう。そして、その一隊がエリコの町に入るのです。

エリコの町は当時の交通の要衝でした。この町の歴史は古く紀元前8000年頃に遡ると言われています。この当時エリコはユダヤの一部に組み込まれていますが、でも一つの独立した都市として機能していました。北のガリラヤ地方からエルサレムに上る者たちは、先ずこのエリコで一泊し、巡礼者であるなら隊列を整えて(徒歩の長い旅では隊列は長く伸びます。)身だしなみも整えて、エルサレムへ向かうのです。しかし、主イエスは此処で長く滞在されないのです。エリコに着いた後すぐ出て行かれる。なぜでしょうか。

エリコの住民も、主イエスがどんな方でどれほど多くの人々の信頼を受け偉大な方であるか知っています。でも同時に主イエスが祭司たちや律法学者たち、王族までもその命を狙っている事をも知っています。ですから、エリコの住民は静観するのです。主イエスを歓迎してエルサレムを敵に回すのは得策ではないし、主イエスを追い出して巡礼者から反感を買うのも得策では無い。下手に手を出して主イエスを支持する者とエルサレムを支持する者が此処で争う事になれば、面倒な事になる事は目に見えている。そして、主イエスと弟子たちを迎えたエリコの町は静まりかえるのです。ただ静かに通りすぎてくれれば良い。そこにはエルサレムに向かう巡礼者たち、エリコの住民も含めて何万人もの人たちがいました。でも、その皆が静まりかえるのです。

さて、ここでバルティマイが登場します。彼は目見えません。ですからこの時、とても驚いたと思います。彼はエリコの城門に座って物乞いをしているのです。たぶん生まれた頃からずっと彼は座り続けていたのでしょう。この場所で今まで一度も、音が消えたことなどありませんでした。昼間はもとより夜中まで音が途絶えることは無かったのです。

目が見えない彼にとって、音は光のようなものです。つまり彼はこの時生まれて始めて暗闇を経験するのです。そして彼はどうしたのか、自分で大声で叫ぶのです。物乞いは普段声を出しません。できるだけ気配を消して、ただ前を通る人の憐れみを乞うのです。目の前の人を見て、まして話しかけるなら殴られ蹴られるのです。でも、彼はこの時、大声で叫びます。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」沈黙の暗闇に負けないように彼は叫ぶのです。その声を聴いた多くの人々が彼を叱りつけて黙らせようとします。強烈な緊張感に満ちた町の中で、非常識な盲人の物乞いが叫んでいるのです。殴りつけてでも静かにさせようと、近くにいた者たちは彼をおさえ付け、黙らせようとします。でも彼はますます大きな声で叫びます。「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」

49節以下にこうあります。「イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。」(マルコ福音書10:49)

この世を完全な暗闇に包むほどの力がある方、その主イエスの小さな言葉は彼にとって強烈な光として輝くのです。彼はその光にむかって、躍り上がるように走り依ります。目の前に来た彼に、主イエスは尋ねます「何がしてほしいのか」

バルティマイはこの時、主イエスに何がして欲しいかなどどと考えてはいなかったのです。ただ彼は光に向かって走っただけでした。でも、彼は、やはり彼は目の前にいる主イエスが見たいのです。バルティマイは「先生、目が見えるようになりたいのです」と願います、そして、主イエスは彼の目を開かれます。主イエスは彼に「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」と話します。あなたはもう自由なのだから、何処でも好きな場所に行きなさい、と話すのです。しかし彼は、主イエスの後に従ってエルサレムに上るのです。

信仰とはそもそも非常識なものなのです。なぜなら私たちは常識的に考えて、他人の顔色を見てから神を仰ぐなんて事はできないからです。私たちは自分の言葉でなければ神に祈りを捧げる事はできません。あの人が信じている信仰だから、偉い先生の言葉にしたがって、国や地域や習慣だから、という信仰は信仰ではありません。私と神との一対一の人格的関係性の上に信仰は成立するのです。

さて、目を開かれたバルティマイはこの後エルサレムで、十字架に付けられた主イエスを、その目で見ます。主イエスに開かれた目で主イエスの屍を見つめるのです。しかし彼は絶望しなかったと、思います。なぜなら彼は主イエスが、この世の常識など遙かに超越されている方だと知っているからです。そして彼は三日後に、非常識にも復活される主イエスの姿を、バルティマイその目で見るのです。彼はすでに救いを得ていたのです。

「平和を求める」2018/8/5

マルコによる福音書10:13-16

なぜか私を見た赤ちゃんは泣きます。先日も名古屋に出たときにエスカレーターに乗りまして、目の前の女性が二歳くらいの子どもを肩に抱いていました。段差がありますから、丁度その子と後ろにいる私と目が合うわけです。嫌な予感はしたのですが、案の定、顔が歪み始めて、泣き始めました。エスカレーターはまだ迷惑、という事にはならないのですけど。エレベーターの密室の中で泣かれると、正直どうしようかと。困ります。なぜ泣くのか。家内曰く「あなたは顔が怖いのよ」と。にべもなく返事を返してくれます。まあ、そうかもしれません。でも私は、赤ちゃんはメガネに馴染んでいないと考える事にしています。

何で、こんな事を話したのかというと、それは、今朝与えられました御言葉について、今まで私が頭に思い描いていた場面とは少し違うんじゃないか、という事に気づかされたからです。

先ほど読みました御言葉にはこの様に書かれています。「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。」私は今まで、主イエスの前に静かに一列になって並ぶ子どもを、一人ひとり主イエスが抱き上げて、頭に手を置いて祝福される、といった場面を思い描いていました。やさしそうなイエス様の前で天使の様にほほえみ喜ぶ子供たち。イエス様に頭を撫でられ、目を閉じて一緒にお祈りをしている、そんな姿です。その様子を母親たちが見守っている。でも、この場面も背景を丁寧に読んでみるならば、そうではない事に気づかされるのです、

此処で話されている子どもとは、生まれたばかりから、低学年の小学生くらい迄の男の子、と言われています。つまり、譬えは悪いのですが「野原しんのすけ」のような、あの年代の男の子です。となると、主イエスの前で静かに順番を待つ、なんてこと考えづらいのです。聴かんちん、困ったちゃん、な年齢です。そもそも、なぜこの時、子供たちが主イエスの元に来たのか、というと、とうぜん自分の意思で来たわけではありません。親に連れられてきたのです。

親たちは主イエスの噂を聞くのです。ナザレの地方で沢山の不思議な業を行った預言者、神さまから遣わされた方が、エルサレムに上られる途中に、自分たちの村を通られる。では、是否その恩恵に与りたい。私ではなく、私の大切な子どもに、という事です。でも、親の思惑に反して、子どもたちにとっては、そんな事はドウデモ良いことです。主イエスがどんな方なのか、素晴らしい方なのか、そんな事は彼らにとって理解できるわけもない。子供たちは訳も分からず取れてこられているのです。

更に、それだけではありません。主イエスを囲んでいる弟子たちは、集まって来た母親と子どもを鬼の形相で睨み付けているのです。

弟子たちにとって、この主イエスのエルサレムへの道のりは、切迫した緊迫感を伴ったものでした。ナザレを出るとき、ファリサイ派の者たちや祭司たちは主イエスを捕らえるタイミングを探っていました。その最中にあって主イエスは弟子たちにエルサレムに上ると話します。弟子たちがどんなに鈍くても、このタイミングでエルサレムに上っていくことは、捕まりに行くようなものだと、分かるのです。更に主イエスはこの時より少し前から「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と弟子たちに話され始めていました。(マルコ福音書09:31)弟子たちはその言葉を、信じたくない、と考えながらも、現実となる事を予期し始めていた、のだと思います。つまり弟子たちにとって、このエルサレムへの道は、戦地に赴く兵士の心情そのものなのです。自分たちの教師であり師匠である主イエスが捕らえられるような事があれば、自分が身を挺して戦う。先生を守る為なら命を失う事も厭(いと)わない。彼らは弱い自分の心を鼓舞して、恐怖と戦っているのです。ピリピリしている。その彼らの下に、子どもを連れた母親たちが集まってきます。まったく場違いな、緊張感のない女性と子ども。「弟子たちはこの人々を叱った。」(マルコ福音書10:13)とありますが、弟子たちが彼女たちを大声で叱りつけるのです。母親に連れてこられた赤ちゃんは、どうか、というと弟子たちの激しく大きな声、顔を見て、恐怖を覚えて泣き出したことでしょう。主イエスの周りで、子供たちがギャン泣きしている。阿鼻叫喚、そんな場面です。

そこで、主イエスはどうされたのか「しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。」(マルコ福音書10:14)主イエスは憤るのです。この憤るという言葉「叱り飛ばす」とか「怒る」という意味の言葉です。この原語で調べますと、主イエスが憤(いきどう)られたのは、この箇所だけです。つまりこの場面で主イエスは相当に激しく弟子を叱りつけているのです。それだけでも、この場面が牧歌的なほのぼのとした状況ではない事が分かります。

ではなぜ主イエスは弟子たちを叱り飛ばしたか。それは勿論、弟子たちが子供たちを泣かして、うるさいから叱りつけた訳ではありません。主イエスは弟子たちの心を見抜かれらのです。彼らは主イエスをこの様な些事(さじ)で煩わせたくないから、余計な心労を掛けたくないから、母親たちを叱ったのではありません。彼らは威勢(いせい)を張りながらも、心は脅えている。戦いを前に心が高ぶっていて、権威的に威圧的に母親の願いを断ったのです。つまり、弟子はこの時、人の心に寄り添う事などできなくなっていたのです。自分の事で精一杯になっていて、人を思いやる気持ちなど持つことなどできない。そのあり方に対して、主イエスは憤られたのです。主イエスは弟子たちを叱りつけます。母親たちはその様子を見て、主イエスの下に子どもの腕を掴んで引っ張ってきます。そして主イエスは、ギャンギャン泣いていたり、脅えている子供たちを抱きかかえ、頭に手を置き、祝福するされるのです。

その様に、この場面が見えて来ますと、この御言葉の中心的な題材、つまり「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」という言葉の意味が見えて来ます。

先ず私たちは「神の国はこの様な者たちのものである」という言葉について「子供たち」という存在を美化して考える傾向があるのではないか、と思います。つまり、「子供たちはまだ大人になっていないから、社会的な立場や権威、財産に拘ることはない、社会生活に揉まれて捻ねくれたり、狡猾に人を欺すようなことはない、素直、無邪気、無垢」「神の国はそんな子どもの様な人のものだ」とその様な捉え方をしてしまうのです。でも、そうなると、次の言葉に違和感が生じるのです。「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」

「受け入れる人」つまり、子どもは自分の母親に、半ば強制的に、無理矢理、でも母の腕の強さを受け容れて、主イエスの下に来て、彼らはそこで祝福を与えられるのです。天の国はその様な人のモノだと、主イエスは此処で話されているのです。

この様な信仰のあり方を、私たちは一つの聖書の場面から見いだす事ができます。それはゲッセマネの園で祈りを捧げられる主イエス、ご自身の姿です。主イエスは十字架に架かられる前の晩に祈られます。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(マルコ福音書14:36)主イエスはこれから始まる壮絶な苦難の激しさを知っているのです。このすぐ後にユダの裏切りにあい捕らえられ裁判を受ける。弟子たちは逃げだし、人々から罵声を浴びせられる、鞭打たれ、棘の冠で頭を締め付けられる。重い十字架を背負いエルサレム中を引き回され、ゴルゴダの丘を上り、十字架に掛けられるのです。しかし、主イエスは神の強い御手に引かれながら、その痛みを受け容れるのです。そして、その先に神の国が起こり、始まるのです。

神の力強い御手に腕を掴まれ、引っ張られて、神の国に入れられる。神の思いが何処にあるのか明らかにされることもなく、しかしその主なる神の御手に掴まれている痛みを覚えながら。まるで屠り場に引かれていく羊のような姿。それが信仰者の姿なのだと、主イエスは此処で、話されているのです。私たちは、自分に降りかかる苦難や克服しなければならない課題を、自分に課せられた課題として、自分の力で全てを解決しようと努力します。信仰の事柄についても、同様に、自分で信じ、自分で理解し、自分で選択した結果だと、考えるのです。力強く神をあかしし、この世と戦い、打ち勝っていくこと。それが正しい信仰者のあり方だと、そう考えるのです。でも、この御言葉にあるように、御手に腕を掴まれ、引っ張られていく、でも、その力を信じ委ねる、その先に救いがあると信じ、受け容れていく、それが私たちの信仰者としてのあり方なのです。恐怖に脅え泣いている私たちを、それでも神は無理矢理、腕を掴んで御自分の下に引っ張って行かれるのです。でもそれは、神が私たちを愛しているからです。私たちにこの世にあって生き生きと生きさせたいから。私たちに祝福を与えたいからです。主に掴まれている痛みを受け容れる事、身を任せること。それが私たちの信仰なのです。